3 読書音楽等: 2007年8月アーカイブ

暑い。今回は、()を増やし、暑苦しさと読みづらさを増す文で行きます。

このブログ、このサイトでの公の私というのは
小説を書いたり書かなかったりする私なわけで、
そうでない私生活な話なのだが、
なんか、願いごとが叶うようなのだった。
その叶い方というのは
『死んだ恋人を我が元に返してください』と願ったら、
ゾンビになって帰ってきて、今のところゾンビで部屋の隅でうずくまっているだけだけど、どうも中身はあのかつての素敵な死んだ恋人とは似ても似つかなさそうな気がする、というか人間でもなく、ぶーーーんとかいう呻りとか背後の空間が歪んでいたりとか、ほら和歌とか詠みかけると一月後に、裁断した没原稿の裏に
「みてあかぬ けれろもめもや いさねねゆ ね こ のぢご くにを ちてけ るかも」とか書いて寄越す。(返歌は早いのを良しとする)こいつは
こないだやつの腹に 蛆と地獄(中川信夫の「地獄」を「やおい」として見る勇敢なover艶女世代の腐女子はいらっしゃるでしょうか)の扉とともに 火薬が そして 大腸を取り出して水道水で洗っていた。要するに不穏なものが帰ってきたのだった。しかし一応死んだ恋人の姿をしている。中身は恐らく、電気蟻にしてもだ。(電気蟻はPKディックの短編のどれかに出てくる>念のため)
本当に戻ってきたのですか? これは私の願いが叶ったということなのでしょうか。
全く努力も働きかけもしていなくて、
でも願い事が叶う、100円拾うとかではなく、もっと大ごとなことで、
というような事態が自分に起こる(かもしれない)とは。 
そうかそういうこともあるのか。
(ない、とずっと思っていた、というのも何か悲しいな)
しかし帰ってきた死んだ恋人に抱擁されたと思ったら、鉄の処女の扉が開き、中に巣くった電気蟻に全身刺されて、私もtransforming電気蟻とかGO to 煉獄とかになったりもっと酷い目に遭ったりするのかもしれない。

ドナ・タートの新作がアマゾンから今日届いた。
アメリカ南部の一族の話らしい。
上下巻併せて厚さ5センチくらいあるよ。
しばらくブログは余り書かない予定ですが、(もう隔月刊か季刊ブログだ)
これの読書感想文(批評じゃなくて感想文ですよ)は書こうかと思う。
が、
どうなるかわからない。

かつて、二十歳ころ、堀辰雄が好きだったと前に書いた。
読み返したらやはり好きだった。文がとてもきれいでかっこいい。
再読したのは、彼の「かげろふの日記・曠野 」(新潮文庫・現在出てるのか? 短編数本include)といった「王朝もの」で、「更級日記」 (岩波文庫)(物語に熱中した受領階級の夢想家の少女が、その後あまり冴えない生涯を送り、「源氏の君も薫大将も現実にはいない!」と絶叫するのが痛ましい)に材を取った「姨捨」(青空文庫で読める→ http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4804_14203.html)の、優しさに満ちたヒロインの救済というか彼女の最後の境地は、原作(原作って言うのか?)にはなく、堀辰雄が与えたものである。(ったようにわたしは思う)
この最後の境地は、物寂しさの中に高揚と意地があり、とても美しい。
更級日記の千年後に
詩的才能に長けた青年が、その日記を好意的に熱心に読み返す。その日記は『私の知っている事実と私の心の内の事実』を『私』が描く『私』の物寂しさ全開の日記とか追想なのだが、それを堀辰雄という全然著者とは関係ない全くの他人が、伝説じみた美しい物語に再編成してくれる、というのは、どうだろ、幸福なことではないかと思う。
誰にとって、あるいは何にとって幸福なんだ? 更級日記の作者死んでるし、堀辰雄も死んでいるし。幸福かもな、と思う私は、今から千年後に堀辰雄パート2が、このブログを美しい物語に書き換えてくれることを願って。はいない、と思うのだが。というか千年後に人類、多分いないと思う。

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