3 読書音楽等: 2006年6月アーカイブ

余裕がないからブログ休みー、
余裕がないとは便利な言葉であり、時間精神経済体力能力それらの複合すべてをいい加減に意味させることができる。いつでも余裕はないのであった。

今更何を言っているんだ、ではありましょうが、萩原朔太郎ってすごいですね。
岩波文庫の『猫町 他十七篇』に入っている、小説or散文詩『日清戦争異聞-原田重吉の夢』が、
前も読んでいるはずなのに、今回再読したら、もの凄く来ました。原田重吉のように戦争を楽しんでしまい/終わって退屈する男は、別に日清戦争に限らず、まあどの時代どの国にもいるのであろうなとは思いますが、その戦争の英雄が、戦争が終わって旅芸人になり戦争時代の英雄像を自ら演じて回るなんて、悲惨で滑稽で、冗談みたいな悪夢のようでありつつ、しかももの凄くありそうだ、事実としてそのような例の多寡に関わらず、もの凄くあり得ると感じられたことでした。

二十年前、十代のころ読んで、当時評判も高かった小説家の短編等をぽつぽつ再読してみようとしています。そんなことを始めたのは、別に意図はなく、あの話良かった気がする、また読んでみたい、だけです。それで読み始めたのは、水上勉『はなれ瞽女おりん』。今でも文庫で読める。『越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん』
瞽女さんという過酷な生活を強いられた人々、しかもその瞽女仲間からも追放され、一人で旅をする瞽女さんの記録であり、その題材は読まれる伝えられる価値があるはずなのですけれど、書かれ方が、あの、旅回りの瞽女さんたちを実際に見るような幼少期を過ごした後、都会のインテリになってしまった人が、何だか俗なヒューマニズムに依拠して書いているようであり、下手すると、瞽女さんという存在を書くことで、瞽女さんを収奪しているようにすら見えてしまいました。
森茉莉が『ヒューマニズムがヒューヒュー言っている』と揶揄していたのは、ああ、例えばこういう作に対してなのだろうか。(もちろん、森茉莉がこの本を読んでいたかわたしは知らない。読んでなさそうな気はする)
この本をわたしは、多分高校生の時読んで、題材に打ちのめされたけれど、ヒューマニズムの嵐には何とも思わなかった、そういうものに浸かっていたのだなあとちょっと愕然としました。
ついでに主人公の『おりん』に理想の女性像を押しつけているようでもあり、
おりんは、苦しい境遇で性愛に溺れつつもとても心がきれいで、つましくて、知り合った脱走兵を一途に思い、従順であり、この小説をジャパニメーション絵でアニメ化したら、『おりん萌え』したりする方もいるのではないか、と思いました。文豪とは言われなくても、『水上文学』と呼ばれ高級扱いされていた作品群の一端が、今の自分にはこう見える。もちろんわたしの読書嗜好は偏向していますし、見識もないですし、読書する人としてのわたし自身の読み方自体がもう古いかもしれません、わたし以外の方々には、わたしの評価など当てになりません。ですが、わたしはわたしの評価、勘を無視するわけにはいかないのでした。
水上勉氏が亡くなったのは確か、21世紀に入ってからで、ええ、こんなに早く賞味期間が切れるの? 『はなれ瞽女おりん』が今でも読まれる価値があるとすれば、それは題材となった瞽女さんについて知るとっかかりとしてであり、
瞽女さんについて真っ当に調べたいなら研究書を読んだりしたほうが良くはないか。

耐久性がある、何十年何百年も残る小説と、一時期持て囃されても残らない小説は何が違うのかという興味が強くなってきました。残る小説には、いい紹介者がいたりするという、そういった運の要素もあるでしょう。そういう人がいなかったために消えてしまった作や作家もあるのでしょう。
わたくしもいい年になり、昔読んだ小説を現在読み返すと、二十年や下手すると三十年のtime-lagを置けるという体験が可能になりました。小学生や中学生のころに、一応本文を全部眺めたからといって、全然読めてなかった可能性は高いわけですが。
吉行淳之介は今もいい作品がありそうだ、井上ひさし氏は日本語ネタのものは今読んでも興味深いが、今、『吉里吉里人』読めるだろうか、黒岩重吾氏の短編を読み、ああ、現在の青年漫画誌の人情ものみたいだなー、と適当に思ったりし、
……しかし、後の時代に生まれたというだけで、偉そうに、ちょっともう読めないねーなどと言っているのはあまりに傲慢なんじゃないか……という気もするが……
以前は、書かれた風俗が古びると読めなくなるのかもしれない、と思ったりもしましたが、そんなの註がついていれば良いだけです。大衆小説/文学の区切りもまた関係なさそうで、江戸川乱歩も夢野久作も今でも面白い。夢野久作は「ドグラマグラ」が有名だけれど、わたしは彼の短編の方がずっと好きです。
書かれた当時、巷間に流布した思想に無自覚に依拠していると賞味期限が早く切れるであろう、とは想像できますが、それを越える力のある作も稀にあるのではないでしょうかね。というか別の部分で評価されるとか。(少ないでしょうけれど)

次は『婉という女』にチャレンジする予定だったのですが、
なんかボオドレエルとかスタンダアルとかに影響された近代日本の作家の作品が無闇に読みたい。かつてわたしは堀辰雄の『聖家族』が好きだった。
『燃ゆる頬・聖家族』
今読むとどうなんだろう。

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