3 読書音楽等の最近のブログ記事
先日、米国のラディカル・フェミニスト/アンドレア・ドウォーキンの『贖い』を読んだ。
アマゾンでは「記録、手記、ルポルタージュ」「社会学」などのテーマやキーワードで扱われているようだが、本自体には、"a novel"と書かれている。
小説なんですよ。
1960-70年代のアメリカ、ニューヨークその他を舞台に、『性的に使用される物、として扱われること』が、それが、扱われる本人にとって、どんな体験なのかを、的確に力強く描く小説である。
著者と同じアンドレアという名前と主人公の年齢の人物の執拗なまでの考え/意識と、
唐突に立ちあがってくる小説内場面が交互に現れてきます。
1993年発売で、当時、二十代前半の私は、この本を興味を持って手に取ってみたけれど、これを読んだら、何か自分の見る目が決定的に変わってしまいそうで、いや、まあ、分厚さ(400ページくらい二段組み)と目次を一見したらわかる『性的に使用される物、として扱われた記録』の膨大さに、恐れをなしたというのもあるのだが、
要するに、これを読んだために、男性作家と男性作家の影響下にある女性作家の小説本全てが、馬鹿馬鹿しくなってしまったら(何万冊もの本が読めなくなったら。まあ生涯に何万冊は読めないだろうが)、どうしようと思ったわけです。すみません小心者なんですよ。で、まあ萎縮して、十数年遠ざけていました。やっと読むことができて良かったです。
こういう本もあるというご報告まで。
ではまた、しばらくブログは書きません。
メールチェックはしますが。どうぞ宜しく。
良い秋を。
『ひそやかな復讐』上・下(ドナ・タート 扶桑社)読みました。
ひそやかな復讐 上 (1) (扶桑社ミステリー タ 3-3)
ひそやかな復讐 下 (3) (扶桑社ミステリー タ 3-4)
ドナ・タートの出世作、
『シークレット・ヒストリー』の、
あのアメリカ東部の陰鬱な秋-冬な感じとは大分違う。けれど、
登場人物が、
何か超越的なものみたいなものを得ようとして、いったんゲットするけれど、
それを手にすることが何か苦い汚辱につながる、ようなところは
共通しているかもしれない。
『ひそやかな復讐』は、
上・下巻のみで、中巻は存在しないですよ。
ミシシッピ州の架空の町が、1970年代前半が舞台で、
南部の没落旧家に生まれた
頑固で聡明で傲慢な少女ハリエット・クリーヴの、
十二歳の夏休みの出来事がメインだが
ハリエットの属する没落南部旧家クリーヴ家(ハリエットの祖父は判事)と、
もう一つ、貧乏白人一族ラトリフ家の、二つの一族の話でもある。
ハリエットは結構、厭な少女だ。極地探検家スコット大佐の伝記を愛読し、尊敬している。彼女は図書館に行ってはたくさん本を借りている。
少女の一夏の冒険、で想像される物語を想像してしまい、そうなったらいやだなあと思いつつ読み進めていくと
上巻途中で、ハリエットが、少年少女の冒険物語について、
『彼らは子供の時は愉快な人たちなのに
冒険が終わり大人になると、どうしてあんなに退屈な人になるんだろう』といった苦情を考えている。
だから、この話では、ハリエットが成長し、優しく強い大人や、愛らしい恋する女になる、といった物語にはならないのだと
受け取って良いのだと思った(そしてその通りだった)
また、12歳のハリエットは翌年13歳、サーティーンでティーンエイジャーなわけだけど、
『ティーンエイジャーの世間でのイメージ』についてハリエットが嫌悪し、糞味噌に考える場面もあり、
こんなに『ティーンエイジャーのイメージ』を、率直に抽出したくだりを読んだのは初めてだ。
貧乏白人一家ラトリフ家の物語でもあると書いた。
ダニー・ラトリフは21歳の若い男性で、本来なら大人の男女を相手に、取引をしたり色事をしたりするはずなのが
凶暴な兄に押さえつけられ、ついには12歳の小娘ハリエットを相手に必死に立ち回らなけれなくなるのが悲惨である。
没落白人名家クレーヴ家は見事に女ばかり、貧乏白人一家ラトリフ家は見事に男性ばかりなんだよね。
例外として両家に一人ずつ異性がいるが、どちらも一家のジェンダー的雄/雌としての最低限の仕事とされる(当時以前のアメリカのジェンダー役割である。そういう役割分担が崩壊した地域や層もあろうし、どうでないところもあるだろう。 ハリエット父→別居先から送金。ラトリフ家祖母→飯を作る)ことだけするのみで存在感が非常に薄い。
性別役割分担は全面肯定されるべきではないだろうし、
実際にその規範で雄・雌の人々を育てるというのは現代ではもう無理だろうし、
かつての性別役割分担は、期待される役割から自然にはずれてしまう人には苦痛だっただろうけれど
それを当然として育った人には、性別役割人の良い部分、
女性だったら、一家を清潔に秩序づけて保ち、子供たちを献身的に愛する、なんていう力を持っている場合が、そうじゃない場合より多いだろう。
クリーヴ家は、そういう力を持った年老いた人々を次々に失う。ラトリフ家にはそういう人があらかじめいない。
南部の自然が凄惨に美しかったり、新しくできた家並みが俗っぽかったり泥沼だったり、とにかく出てくる風景が濃厚で、
リアリズムで書かれた長編を読むのが久しぶりだった私は、
上巻の途中を読みながら、ハリエットと一緒に
小説の舞台の中にいるような感じを味わい、
(そういえば長編小説を読む楽しさはまず、これですね)
途中、生き物はたやすく死に、大事な人は消える、そして物は壊れ腐敗する、偶然は悪い方に転ぶ、秩序は混乱する(っていうかそんな物存在するの? とでもいいたげな。)
その連続に、読んでいて下巻の頭の方では鬱々としてきた。
結局、複雑に絡み合った物語であり、感想とかいっても、私は恣意的に例えば上のようなことをすくい上げることしかできず、
読み終わってやっぱりドナ・タートすごいです。
何かどっと疲れて、キャロル・エムシュウィラーの短編集を読んだ。
すべての終わりの始まり
この方の作は意外な発想がベースにあるんだけど、のほほんと優しくて、ほっとしたりしました。
