豆腐洗い猫は、毎日、豆腐屋さんの厨房で、水槽の中の豆腐を洗っています。しかし、猫は爪が出ているので、いつも豆腐にひっかき傷をつけてしまいます。時には、豆腐はぽろっと崩れます。せっかく豆腐屋さんが、きれいな直方体に豆腐を切っても、猫が一生懸命洗えば洗うほど、豆腐はぐちゃぐちゃになってしまいます。豆腐屋さんは怒って、豆腐洗い猫を殴ったり蹴ったりしました。
「この世で一番、不必要な存在は、豆腐を洗おうという猫だ」
豆腐屋さんは、ひととおり殴り終えると、我に返って猫に言うのでした。「しかし君には豆腐を洗う宿命があるからなあ」と、豆腐屋さんは豆腐洗い猫を使い続けておりました。
豆腐洗い猫の手はいつも冷たい水の中に突っ込まれています、ひび割れた肉球から流れた血が、豆腐洗いによって豆腐についた傷に浸みこみます。その様子を見た豆腐屋さんは、ぐちゃぐちゃの豆腐こそ、よく醤油が染みるのだということに気づき、『ひややっこにぴったり! 醤油がよく染みるグチャグチャ豆腐(絹ごし)』という名前で豆腐を売り出したところ、その『ひややっこにぴったり云々豆腐』は飛ぶように売れ、店は大繁盛し、豆腐屋さんは豆腐洗い猫にたくさんボーナスをあげました。
そんなわけはないのだった。
豆腐洗い猫は一種の妖怪であり、零落神でもあったので、豆腐屋さんに、素敵なお嫁さんを連れてきました。美人で優しくて気丈で働き者です。もちろんその女はオカラとかで出来ていますが、それだけではありません。この豆腐屋さんで使っている豆腐用大豆は遺伝子組み替えまくり五〇〇〇倍体の大豆です。つまり、染色体が五〇〇〇本あるということです。だから、豆一つがサッカーボールくらいあって、大豆を蒸すのも大変ですな。染色体の中には、大豆の遺伝子の他にも、アボカドやアンゴラウサギなどの遺伝子なんかも混じっていて、オカラの奥さんは植物や動物の良い点をたくさん持っていました。その後、豆腐屋さんとの間に可愛い子供にも恵まれます。豆腐屋さんの子孫は、だんだんと体内に占める豆腐率が高くなり、四代目の豆腐屋さんは豆腐を作りながら、ぱたっと、擂り潰した大豆の中に倒れ、崩れて大豆に混ざってしまいました。まあ、それは後のことです。
豆腐屋さんのお店は、深い針葉樹林の森の中にあり、数百メートル先に、バロック様式の大きなお城があります。お城の舞踏会用に豆腐を納入するために、豆腐屋さんとお嫁さん(オカラ)と豆腐洗い猫は心を込めて最高のこだわり豆腐をたくさん作りました。
!ここがこだわり! 豆は宇宙実験室遺伝子組み換え五〇〇〇倍体を百パーセント使用! 絹ごし用の絹は西陣織! 燃やしてもダイオキシンは発生しません! お祈祷済み!
荷車にびっしり豆腐を積むと、豆腐屋さんが荷車を引いて、奥さんと豆腐洗い猫が荷車を押します。一行は、森の中の細い道をお城に向かいました。長い鉄砲を持った衛兵が、堀にかかった跳ね橋をぎいと落として、豆腐屋さんの荷車を通しました。石垣の上で三角帽子の猫が踊り狂っています。衛兵が鉄砲を構え、三角帽子の猫を打ち落としました。
豆腐屋さんや豆腐洗い猫は緊張しながら、王宮のお勝手口から、豆腐を搬入しました。大広間では舞踏会が開かれています。ラッパがパパパーとなりました。で、まあ、
森の中の、お城の大広間の舞踏会ですからやはり、
王子様のお后選びが行われているわけですが、王子は昨夜、湖で見た、豆腐の精霊たちが無数に集まって、月光に照らされた青黒い静かな湖の上で、真っ白い豆腐の絹ごしの肌を時々痙攣するように揺すりながら、ゆばのスカートをヒラヒラ翻し、ぼうっと白く輝き踊る様が忘れられません、しかも豆腐精霊の王女にすっかり惑溺してしまっています。大広間の王子の座に座ったきり、歌を詠みました。
ひさかたの月の光に舞い踊る とうふ処女(おとめ)や あなめでたけれ
青白きみずうみ凍れる 遺伝子は 人ではなくて豆腐なりとぞ
豆腐精霊の王女、豆腐娘子(おとめ)への恋情止みがたく、王子は、近所の豪族の娘たちが着飾って次々に踊りながら王子に歌を詠みかけるのも無視して、憂愁に沈んでいました。王妃様や王様は困りました。跡継ぎがいなくては王国は絶えてしまいます。温室に咲いているダリヤやカンナも萎れてしまいます。
豆腐屋さんや奥さん(オカラ)も、大広間の端で見ていてハラハラしました。王様ご一家を敬愛している豆腐屋さんは、奥さんがオカラで出来ていて豆腐娘子と似たようなものなので、奥さんを王子様に差し上げようかと申し出ました。奥さんもしょせんオカラなので異論はありません。王子様は言いました。「そなたたちの志は有り難く受け止めました。ですが、私はオカラではなく豆腐絹ごし娘子に愛を誓ったのです」
イカ墨入り豆腐絹ごし娘子という、黒い豆腐娘子の偽物とかが舞踏会に乱入してきて踊り狂いました。「ああ、豆腐娘子のドッペルゲンガーが訪ねてきた!」王子様が豆腐娘子と踊ろうとすると、豆腐洗い猫がいつもの習性で豆腐を洗おうと飛びかかったら、イカ墨入り豆腐絹ごし娘は墨を吐き、巨大なイカに変わって、真紅の絨毯の上でのたうち回って息絶えました。その後イカの刺身が舞踏会の客に供されましたが、王子様は箸をつけません。
賢く気高い王妃様が、豆腐洗い猫に命じました。
「そこの猫よ」孔雀の群れを従えながら王妃様が言います。「豆腐こそが、我が息子の迷いの元なり。森の湖に行き、豆腐精霊たちを、その爪で引きちぎっておしまい」
王子は王妃様に申し上げます。「おお母上、どうぞそれはお許しください。猫も哀れでございましょう。私は豆腐娘子と愛を貫きますから、城の後継者は選挙で決めましょう」王子は湖へと走り去り、王宮の人々や豆腐屋さんや奥さんや豆腐洗い猫は慌ててついていきます。
鬱蒼とした森に囲まれた、広い深い湖に月光が射しています。月光に照らされて湖面は霧のように白い、というか、水は全部、豆乳でした。
湖面では豆腐がぷるぷる震えています。豆腐屋さんは、その豆腐や豆乳が遺伝子五〇〇〇倍体の大豆から出来ていることに気づきました。そうです、豆腐洗い猫が豆腐を洗った時に爪の裏についた豆腐のカスが、毎日、作業後に豆腐洗い猫が店の裏の小川で手を洗うたびに、取れ、カスは小川から湖に流れていき、そこで大繁殖したのです。
責任感の強い豆腐屋さんは、怒りに震え、豆腐洗い猫の首根っこをぐいとつかみ、猫はびっくりして丸まりました。豆腐屋さんは湖にむかって、豆腐洗い猫を大きく捧げ持ち、「豆腐はすべて豆腐洗い猫に洗われて砕け散れ」と叫び、生贄として、豆腐洗い猫をぽいっと湖に投げこみました。
豆腐洗い猫は湖の底に沈み、湖は再び清らかな水を湛えました。王子様は人間の素晴らしい女性と結婚し、王国は末永く安泰で領民は平和に豊かに暮らしました。王子様は自分の目を醒ましてくれた豆腐洗い猫に感謝し、湖岸に豆腐を洗う猫の銅像を建てました。豆腐洗い猫のお話は、この王国のすべての学校の教科書に必ず載っています。湖は豆腐を愛好するベジタリアンたちの巡礼地となり、豆腐チャンプルやマーボードウフや、ひよこ豆のかわりに豆腐をつかったトルコ風メゼ(前菜)など、色んな豆腐料理のお店屋さんや、おみやげ屋さんもたくさんあって、豆腐洗い猫グッズが売られています。行ってみたいですね。
いっぽう豆腐洗い猫は、五十万トンの豆腐に埋もれ、発掘される日を待っていました。でも何百年も経ったので、起き上がって、湖の底に行きました。懐かしい豆腐屋さんや豆腐屋の奥さん(オカラ)ももう死んでしまったでしょう。底に行くほど豆腐は濃くなり、とても寒いです。豆腐通路を歩いていくと、バカとか死ねとか書いてあります。『おまえのあだ名は「ゴミ焼いた煙」だ』とか、「ゴミ」じゃなくて「ゴミ焼いた煙」まで持ち出し、固体の生き物を気体扱いしてまで、相手の存在感を否定する渾名は見たことないにゃーと猫は思いました。
豆腐通路はやがて行き止まりになり、猫は一生懸命、両手で豆腐を掻き崩して前に進もうとしました。豆腐洗い猫の犠牲のおかげで、みんなが幸せになったので、豆腐洗い猫は自分も幸せなんだ、と思いながら、まるで氷山みたいな豆腐を掻き分け続けました。両手から血がぽたぽた落ちます。
五〇〇〇倍体大豆の遺伝子が言いました。「おまえの豆腐洗い遺伝子は、淘汰されるべきものだ。だからおまえは子孫を残さず豆腐の中で死ぬのだ」
豆腐洗い猫は生殖とかしない。
豆腐洗い猫は豆腐を洗うためにだけ生まれてきた、フィクション上の存在だからフィクションの中では豆腐を洗う猫というナンセンスな意味を背負わされていました。だから猫は豆腐湖の下の迷路で、豆腐を洗っていえるんだか掘っているんだかもうよくわからなかったが、豆腐洗い猫の毛皮はびっしり凍り豆腐(高野豆腐)に覆われています。
架空ねこ軍団がやってきて、
「洗うにゃ」「洗うにゃ」「洗うにゃ」と無責任に音頭を取りました。
豆腐洗い猫は弱々しく「にゃー」と答えました。乱暴な、蹴り蹴りニャーが、ウサギやモグラに暴力をふるっています。こいつは自分より弱い物を蹴って蹴って蹴りまくるひどい猫です。豆腐迷路を血塗れの手で掘っていくと、トム・ヨークの部屋に出たりしました。彼は地下新聞を出していて、連載四コマ漫画を描いています。豆腐洗い猫が地下新聞を一部もらおうとしたら、トム・ヨークごと新聞は消えました。豆腐娘子たちが真っ白い着物を着て舞い狂う幻影も見えました。処刑部屋や拷問部屋も見ました。
クロネコヤマトのトラック。マサキ工業さんのトラック。谷村運送さんのトラック。
仔猫の時、トラックに乗っていたら発車しそうになって、慌てて飛び降りて消えてしまったお母さん猫。仔猫のきょうだいだけ荷台に乗せたまま、トラックは高速道路に乗った。豆腐洗い仙人との修行の日々。あなたの運命数は7です。7463万5982です。
様々な職人猫たちとの集会に参加しようとしたが、豆腐洗い猫は妖怪で下層零落神なので、豆腐洗いギルドを作ることが許されない。五〇〇〇倍体の染色体の大豆たちが、豆腐洗い猫の悪口をずっと言っています。
考えてみれば、豆腐洗い猫の爪を、豆腐屋さんが毎日切ってあげていれば、何にも問題が起きなかったのではないでしょうか。
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ケリケリニャー(蹴り蹴りニャー)
この絵の猫
ケリケリニャーの名前は、名作児童絵本『つみつみニャー』
にインスパイアされてつけました。
