2008年12月アーカイブ

 急行が停まる駅から歩いて家に戻ろうとすると、川を底にした谷を一つ越えなければならず、二十分くらいかかる。駅前はきれいなビルが建ち並んでいるが、駅から離れると、古い木造の住宅と、栗や果樹を申し訳程度に植えた耕地が入り混じっている。
 まだ昼間だった。私はいったん坂を下りて川を渡り、谷の反対側にある坂を登る途中だ。坂はきついが、十メートルくらい登ると、傾斜が緩くなる。エレヴェーターが坂の左側に建っている。よく晴れた秋の日だった。エレヴェーターは透明で、円筒状だった。空にまっすぐ伸びて、透明プラスティックの外壁が空中で光っている。伸びた先には雲しか見えない。
 エレヴェーターは、坂のアスファルト道が左側に、三畳ほどの広さで突き出た面に設置されていた。エレヴェーターの基部は、背の高い山茶花を植え込んだ生垣に取り囲まれている。生垣に隠れた奥には和風の大きな家が見え、エレヴェーターに庭先を貸した形になっている。
 透明なエレヴェーターの中の、やはり透明な箱が降りてくる。箱には私の姉が乗っている。姉は十二歳で、バレエ用の、白いチュチュを着ている。エレヴェーターはすごい速度で降りてきて、すごい重力がかかるだろうに、姉はトゥシューズでつま先立ちしたまま、優雅に両腕を上げたり、くるくる回転したりした。十二歳にしては多分、上手なのだろう。
 私は坂の途中にある広場にいる。広場は、坂を挟んで、エレヴェーターのちょうど向かい側にある。広場には屋外ファーストフードショップやカフェがあり、私は友達のY子さんとテーブルの一つに座っている。各テーブルに、緑色と白のパラソルが開いている。Y子さんは四歳になる息子のS彦君を連れてきていた。「まだあんなことをやっているんだ」私は、エレヴェーターの中で踊っている姉を見て、Y子さんに言う。Y子さんは私の姉を知っている。が、Y子さんは、決して他人の領域に踏み込んでこないので、ただ微笑むだけだった。私たちは暖かいポテトフライを食べ、ストローでコーラを飲む。
 私はS彦くんと遊ぶ。私には子供がおらず、子供をどう扱って良いのかわからないのだが、こちらも子供のつもりで乱暴に遊べばいいのかと、S彦君を持ち上げ、振り回して飛行機ごっこをした。S彦君は喜んで、きゃーとかぎゃーとか歓声をあげた。「子供扱いが巧いね」とY子さんが褒めてくれる。
 姉はエレヴェーターから外に出ると、基部の周りにいる男たちと銀色のスロットマシンで博打をする。スロットマシンは古風なレジスターのようだ。機械の右側に附いたハンドルを引くと、円盤が三枚、回りだす。それぞれの円盤の横には様々な数字が書いてあり、正面ののぞき窓から一つだけ数字が見える。回り出した三枚の円盤は、やがてバラバラに停まる。停まった数字が三つとも同じならば、海外留学できるという約束だ。あのエレヴェーターは海外留学相談センターなのだそうだ。将来、世界的に活躍するバレリーナになるには、海外留学は不可欠ですよ。男たちは姉にそう言った。
 留学のパンフレットには、留学先で行われる研修の予定が書かれている。三週間の語学研修や、現地の子供たちとの交流キャンプなどだった。
 姉は、スロットマシンで数字を揃えられなかった。またエレヴェーターに乗って、一人でダンスの練習をしながら雲の上まで行く。白いレースを重ねたチュチュに午後の陽が当たり、とてもきれいだ。
「また会おうね」
 日が暮れつつあるようだった。Y子さんはS彦君を連れて帰っていった。
 夕焼けの中、エレヴェーターの重りの持ち上がる轟音とともに、姉が入った箱が戻ってくる。十二歳の姉は留学相談センターの男たちとスロットマシンをする。私の姉は、今度も数を揃えることが出来ない。あのスロットマシンは、決して数が揃わないように出来ているのではないかと、私は思う。
 エレヴェーターの基部を取り囲んでいた山茶花の生垣はなくなり、暗幕が掛かり、夜間照明がつけられた。姉の衣装は替えられている。チュチュとトゥシューズだけはつけたままだが、タイツはなく、ショーツというのかブルマーというのか、下半身を覆う布はない。陰唇は偽の真珠で縁取りされ、紫と蛍光ピンクで塗られ、ラメを掛けられている。姉はまたエレヴェーターに乗り込み、音楽もなく夜空で踊る。

2008/12/1

| トラックバック(0)

ブログ久しぶりです。色々苛々していますが、一応、病気などはしていないです。

私は動物では山羊とか羊とかリャマが好きです。ピューマだの虎だのは、かっこいいように思いますが、今ひとつ興味が持てません。
好みというのはどういう理由で発生するのかわかりません。また、何故山羊がいいのか理由を説明しろ、魅力を語れと言われてもどう語っていいやらわかりません。大体好きと言っても、マニアックに好きなわけではなく、そんな全然詳しくないし。また、たいていの相手@日本では、山羊についてよく知らないでしょう。
つまり、猫ちゃんがね、猫ちゃんが日の当たるトタン屋根の上で寝転がって伸びて平和そうにしているのがいいの。とかなら、私と相手が同じような状態の猫の姿を想像することを期待できる可能性はかなり高いですが、山羊では難しいです。
私には、山羊やリャマは、現在も過去も、あまり身近ではありません。子供のころ見て好きになった可能性はあるかもしれません。
私が生まれ育った街@関東は、現在では住宅地ですが、私が子供のころは郊外っぽさが全開でした。牛や豚を飼っていた農場などもあったそうですし、幹線道路沿いに、唐突に牧場があり、ファミリーレストランふうのステーキハウスがあり、『牛魂の碑』と書かれた巨大な石碑が建っていたことを覚えています。もしかしたら、山羊や羊がどこかで飼われていたのを見て感動したのかもしれません。

記憶にある限り、初めて山羊を見たのは、学生時代、ある大学の農学部に遊びに行った時で、新緑の広場にポツンと立っていた、痩せた胸から腹にかけて、大きな人工心肺(? とりあえず手作りな感じのメカでした)をはみ出させていた白山羊でした。そこら辺の看板に、人工心肺を取り付けてからの生存日数が書いてあった覚えがあります。
いや、山羊とか羊とかリャマは、動物園などの動物ふれあいコーナーの常連ではありませんか。後は兎やモルモットですね。ある時、私は千葉にあるマザー牧場で100匹くらいのモルモットにまみれて喜んでいたのですが、腹の毛が抜け、腹にべったり血をつけていたモルモットがいたことを覚えています。関西だと神戸の王子動物公園の動物さわりコーナーは素晴らしいです。リャマもいました。触られ動物の皆さんはみんな健康そうでした。

ませじゅんこ

嫌な感じの小説を制作
連絡先 deadwall@hotmail.com
ホームページ http://masejunko.net/

このアーカイブについて

このページには、2008年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年10月です。

次のアーカイブは2009年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。