2007年12月アーカイブ
-この話における「トム・ヨーク」とは、-
孤高のロック・ミュージシャン。人がいい。同名の実在の人物とは無関係。-
地球の人気ロックバンドを率いる、孤高のアーティストのトムのもとに、
植民惑星から仕事の依頼が来た。
植民惑星の移民団居住地で、娯楽委員の任について欲しいという要請だった。
困ったな、とトムは思った。
ロンドンの音楽スタジオで、トムの敵たち、トムの息子であってもおかしくない年齢の、過去のリサイクルを繰り返す凡庸なロック青少年たちが、トムが子供のころ聞いた、宇宙空間で遭難して宇宙空間をさまよう、しかし本当はジャンキーの「トム少佐の歌」を歌い、トムを揶揄嘲弄した。
いや、トム少佐(major Tom)とトム(Thom)は、多分、綴りが違うのだが。
惑星開発委員会の使徒天使が現れ、大きな翼をはためかせ、痩せたロック青少年たちを蹴散らした。
植民惑星のB-57861地域の住人は全員トムの大ファンで、明日の輝かしい植民惑星の繁栄のための、苦しい労働の合間にトムの歌を聞きたがっているのだと言った。それがあなたの使命です。
自動運転のロケットに乗って、トムは一人で宇宙に飛び立った。宇宙空間は寒かった。
植民惑星の宇宙空港から宇宙服を着て外に出る。大気は二酸化炭素でいっぱいだった。駅から玉砂利を敷いた狭い道を歩いて、トムが担当地域のB-57861地域の基地に到着すると、強化プラスティックの透明防御壁の向こうで、植民者たちが
諸手を挙げたり泣きわめいたりしながらトムを歓迎した。
植民者たちは、この惑星の大気に合わせて人体改造を施され、全身に葉緑素が植えられ、光合成で生きていた。だからトムと、植民者たちとは、透明防御壁越しにしか会うことが出来なかった。
植民者は光合成をしながらペットボトルをリサイクルした土に芽キャベツの種を蒔いていた。胸から何本もチューブを伸ばし、チューブの一本一本は、各一羽づつのニワトリのクチバシにつながっていた。チューブから酸素が送り出され、ニワトリは酸素呼吸をした。植民者たちは、大体一人、七羽から八羽のニワトリをチューブの先にぶら下げていた。ニワトリが弱ると、彼らはニワトリのクチバシを口にくわえ、酸素を口移しで与えた。
この惑星には太陽が54個もあるのでいつでも昼だった。分厚い二酸化炭素の雲を通り抜けて太陽の光が薄く差していた。空は黄緑色だった。地球標準時で一日の労働が終わると、楽しい夕食と娯楽の時間だ。トムは、透明防御壁の向こうにいる宇宙移民たちに向け、ギターを弾いて持ち歌を歌った。トムの大ファンの移民たちは毎日感動し、さめざめと涙を流した。
トムだけが葉緑素を植えられず、人体改造もされず、移民たちが芽キャベツの収穫や箱詰めに行く間、強化ガラスの防御壁の三畳くらいの部屋の中で、つくねんと座って本日の出し物を考えた。そんな日々が続いた。
植民者たちは元はトムの大ファンだったのだが、みんな植民地生活に疲れてきた。ディズニーランドに行ったり、故郷の山河の中で墓参りに行ったりしたいのだ。当然だ。弱ってきたニワトリを抱き上げ、ニワトリのクチバシを、五秒ごとに口につっこみ酸素を送っているのである。空では54個の太陽がぐるぐる回り、空は黄緑からピンク色に変わり、ニワトリの産む卵には黄身が三つも四つもあった。トムは毎日、芽キャベツと目玉焼きを食べた。
植民者たちはトムの、繊細で陰鬱で高貴な音楽が理解できなくなっていった。
変拍子を使うと、植民者たちはぼーっとした顔をした。トムは胸が痛くなり、彼らの役に立とうとした。マッドネスとかポーグスとか、景気が良くて気を引き立てるような音楽を演奏した。植民者たちは少しだけ笑った。が、やがて、植民者たちは、テンポが110BPM、コードはAかCの二つでできた音楽にしか反応しなくなった。
隣の地区では、娯楽委員のバレリーナが、金色のトゥシューズの爪先に鉄アレイを仕込み、鍛え上げた見事な脚で、移民たちをガンガン蹴り殺したそうだ。
32回転のグラン・フェッテ・アントールナン。彼女は地球に強制送還された。
トムのところに別の地区の娯楽委員の吟遊詩人が来て、一緒に逃げようと言った。
「芸能民は共感可能な観客聴衆がいなくては存在しえないのだ。我々の現在の状態はどうだね、これは芸能ではない」
トムは静かに吟遊詩人の誘いを断った。吟遊詩人はトムを嘲る詩を作って去っていった。
トムはぼーっとした植民者たちの前で歌った。
ああ
ぼくはトム・ヨーク 宇宙の戦士
放浪の
地球のみどりのおかに ちきゅうの長い午後に
は 月の
無慈悲な夜の女王を 退治するのだった
適当に2コードで作ったこんな歌に、移民たちは葉緑素をぶるぶる揺すって笑った。
ロックは退屈なゴミ音楽かもしれないが、退屈なゴミであっても一応音楽であった。これは音楽なんだろうか。まあ芸術じゃねーよな。
鉛筆削り屑にもならない。トムは絶望的な気分になった。
これなら娯楽はラジオを置いておけばいいじゃないか。
「僕も彼らのように、人体改造をして葉緑素を細胞に植えて、酸素供給器にしてください」惑星間通信機に向かって、トムは惑星開発委員会に要望を述べた。「だめです」惑星開発委員会の返答はそんな感じだった。「あなたはあなたの娯楽委員としての任を全うしなさい」
移民たちは人間から芽キャベツに近づいてきて、時々、手のひらは葉っぱのようだった。ヨークシャーから移民に来た、ミズ・ローズマリー・フリードマンは透明防御壁越しに言った。
あなたのとてもとてもファンだったのよ あなたはずっと私を見ていて私に正しいことをするようにと ささやいていた
秘密を
ニューアルバムを買うごとにコンサートに行くたびに
あなたは私に秘密を送ってくれているのを感じていたわ
学校に行っても 道を歩いていても ファーストフードショップで得体の知れない肉を焼いていても あなたは空から私を見ていたわね
それはもちろん私の思春期の思いこみにすぎないのだけれど
私は正しいことをしたわね そう言ってトム
そして私のためにうたって
トムはギターを取ってローズマリーのために、かつての持ち歌を歌おうとしたけれど、彼女はまた機械的にニワトリのクチバシに酸素を送る仕事を始めた。
トムは即興で、ローズマリーとニワトリの歌(コード進行・A→C→C→A)を歌った。何だこれ。ローズマリーはもう何もしゃべらなかった。ローズマリーの金髪はだんだん葉っぱになっていく。葉ボタンっぽかった。
トムは娯楽の時間が来るたびに、覚えているシェークスピアとかレイモンド・カーヴァーとかを暗唱しようとしたのだが、受けないのでハリーポッターにしようと思ったが読んでいなかった。
地球連邦からは時々譜面が届いた。
移民に聞かせると良い曲、植物の成長に良い曲。
トムはチェロでバッハをずっと弾き続けた。
2万3000年経った。
分厚い二酸化炭素の雲が晴れ、大気は酸素で満ちあふれていた。
地平線まで芽キャベツ畑が広がっていた。ニワトリたちが進化して、芽キャベツを鶏糞で固めた議事堂を造り、人権宣言を採択したりしていた。
ニワトリはトムに卵を分けてくれた。
殻を割ると小さな黄身がびっしり詰まっていた。頭がトムのニワトリもいた。
トムの生殖細胞を、卵に適当に混ぜたらしかった。
(終わり)
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2008年もよろしくお願いいたします。
「スイーツ」という言葉がおかしいと揶揄するのならば、
「スイーツ(笑)」はスイーツという言葉それ自体か、その言葉を実際に作って流通させている側になされるのが妥当な感じがするのだが、
スイーツ(笑)は、その言葉を作る側が提示した女性像になろうとする読者に対してなされるのは、何か、不当な感じがするのだけれど。
「スイーツ」という言葉を作る人たちが何を考えて作っておられるのか、私にはわからない。
ただ、また自分になぞらえ類推してみる。
自分のサイトのタイトルを考えた時(2000年)、とにかくインパクトがなければサイトを見てくれる人はいないだろう、と考えた記憶がある。このサイトで発表する以前に書いた作に対し、「死んだ恋人についてあれこれ考え続ける主人公の話」が多いという指摘をいただいたためにこのタイトルにした。
「死んだ恋人を捜して」というタイトルに対し、「死」を現実離れさせ、美化しているという指摘があれば、それはまったくもっともだ。
「死んだ恋人を捜して(笑)」と揶揄されれば、まあそういう人々がおられるのは当然だろうと思う。
それに対してこちらは「比喩です」「美意識みたいなものからです」とかしか答えられない。いや、私、が何かを考える時には、色々な次元があって、ある次元では、死後の世界とかがあってそこで恋人のような何か、に巡り会えればいいと思っていたのだろう。死後の世界があるとは考えていないのだが、そういう彼岸の次元があればいいとどこかで思っているのだ。
「私が何かを考える時の次元がたくさんある」というのはそれは事実であっても、でも外部に対応する自分は一人である(というかそう見なされると私は見なす)。
ああつまり、彼岸の次元があればいいと思っている自分は当たり前だが私で、
死を現実離れさせ美化しているのは私であり、
それは、
タイトルにインパクトがなければサイトの宣伝が出来ないサイトが目立たなくて駄目という現実的な/功利的な(利になっているか謎だが)?事柄と結びついている。
と同時に、(死後の世界ではなくても)彼岸の次元もあって欲しいのも別に嘘ではない。というかそれがまずあった。私は後者をやり抜かなくてはならない、のか。
いや、必ずしも二者択一でもないと思う。ひとまず今日はここまで。(この続きをブログで書くかはわかりません)
「スイーツ(笑)」という言葉があるのを知った。
女性ファッション誌とかで作られた女性像を真似する若い女性(例えば、お菓子やデザートを女性誌でそう呼ぶように「スイーツ」と呼ぶ)を揶揄する言葉らしいのだが、
お菓子やデザートを「スイーツ」と呼ぶのは、確かにスイーツ業界にいるわけでもない私の日常感覚からいけば違和感はある。滅茶苦茶ある。目の前で「スイーツがね、」と言われたら、私も揶揄したくなりますが。
Aというちょっと意地悪な人が、Aが日常使わない単語を使う人Bを、Bの使う単語に(笑)をつけて揶揄する、という行為は「スイーツ」以外でもあるのか。例えば「シニフィエ(笑)」とかいう表現は多分ないように思う。「シニフィエ」は女性ファッション誌、女の子の用語などという些細なものではなく、何か難しい学問の用語だからだと思う。
「スイーツ(笑)」
まあ私は女性ではあるけれど若くはない。けれど、かつては若い女性であった。
若い女性であったころ「スイーツ(笑)」という言葉があれば、その言葉で揶揄されても不思議ではない。
自分が若い女性であったころのことを思い出しつつ、スイーツ(笑)といわれる人々に身をなぞらえて考えてみる。
ではまったく女性ファッション誌を無視して、お洒落を女性誌から学ばなければそれはそれで何かの揶揄嘲弄が待っていそうだ。
何か色々何をやっても笑われ、揶揄されるのかと、あちこちに罠があるみたいに思われる。しんどいなと思う。
ジュヌヴィエーヴのその後
筐底に秘してある(笑)、大昔にレポート用紙や大学ノートに書いた、一連の駄目ストーリーがある。時々、以前書いた登場人物のことを思い出し、もし彼らがそのまま歳を取っていて現在に至っていたらどうなっていたか、今の自分が書くとしたらどうなるか考える。それで現時点で書き直し、全く違う物語として展開できることもある。
ある作には、ファム・ファタル的女性キャラクターが出てくる。彼女の名前は仮にジュヌヴィエーヴとしましょう。ジュヌヴィエーヴは宿命の女性ですから、ロマンティックに死んでしまうのだった。多分大量のフィクション受容体験から生まれた、私の理想の女性であろう。そうなりたいとか、美化した自己投影とかもあったのだろう。
そして今考えると、彼女が何を考えていたか私にはよくわからない。『ああ面倒くさい。マスカラが取れた腹が立つ』とかかなあと思う。彼女の考えを考えてみたが、書くネタとしては面白くない。彼女を神秘化する男性キャラクターが必要なのだ。でも、そのような話は今は書きたいと思わないし、「ロリータ」にかなうわけもなし。
これは使えそうにもないなあジュヌヴィエーヴの話よ。とか思った。
ジュヌヴィエーヴが生きている姿を思い返そうとする、と、昔考えていた容姿とは違う。顔は変わらない。だが、胸はあるけれど比較的、細身の体型ではなく、凄まじくバストもウエストもヒップも大きくなっていて、地母神というか、この写真のような体型になっている。
私の脳内の「宿命の女」像は、ファッショナブルな美女ではなく、
「地母神」に変形されたらしい。昔書いたジュヌヴィエーヴは妊娠とも出産とも育児とも関わりはなかったのだが。
「素晴らしい女」であることのみを追求すると、ここにたどりつくのか?
何だかわかるようなわからないような。
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今回の異形コレクションは誕生十周年記念で、
全編原稿用紙10枚以内のショートショート、寄稿者の方は81名になります。
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ここ
私の作は「黄色い花粉都市」という何か身も蓋もないタイトルです
(もちろん「異形コレクション」ですから異形という前提があるわ
で、私は、「人生の一回性」という言葉をどこかで拾ってきて気に
