2007年1月アーカイブ

モグラ帝国近代化政策実施に当たって、
私は何だか怪しいお雇い外国人のような立場に立たされていた。
だが、私は単に人間であるという点に於いてモグラと違うだけで、モグラ近代政府の政策立案や、富モグ強兵や殖産興業にすぐに役立つような知識があるわけではない。
まあ、モグラ帝国のモグ民たちに義務教育をするとかいうので、私は毎日、子モグラたちを集めたモグ小屋で、自分が昔学校で習ったことを思い出し思い出し、教えたりしています。教育とは有り難いものですな。前が丸で、後ろが四角い墓を前方後円墳といいます、とか。しかしモグラの寿命は短く、義務教育は三日で終了するので充分な知識伝達が行われているとは言えない。
これではいけません。
殖産興業に役立つかと思って、
私は、子モグラたちに美少女フィギュアの作り方を教えようとしました。
モグラ洞窟の土(粘土は豊富です)を取ってきて、
原型を作り、それにカブトムシの幼虫を檸檬絞り器で絞って体液を集め、離型材になるように丁寧に塗ります。その上から湿った腐葉土をびっしり張り込みます。腐葉土が乾いたところで二つに割って、原型を取り出し、腐葉土型を作るのです。で、出来た腐葉土型に粘土を入れれば、美少女フィギュアが量産できます。
モグ子屋で一番美術の得意なモグ太くんが、かなりの美少女原型を作りました。美少女の洋服は鳥毛立ち屏風女みたいですがゴシックなスカートがちょっとひらっとしています。スカートの中を覗くと、ぷりぷりしたモグラ臀部がモグモグしていてセクシーです。
私はモグ太くんの才能を激賞し、モグ小屋の子モグラたちに、では量産しましょうと指示しました。モグ太くんはちょっと照れています。
腐葉土型を外していったら、ハニワが次々と出てきました。
型から抜くと萌え美少女はみんなハニワになります。型が悪いのでしょうが改良案なんか考えるの面倒くさいので厭です。
これ輸出するの? どこに? 誰が欲しがるんだ?
原型だけモグ太くんのoriginalとして高く売れば良かったかもしれませんが、

it's been 25 years since you had an original thought in your head.
---by Mr.Luke Haines'song "the heritage rock revolution" from album"Off My Rocker At the Art School Bop"


君たちが脳内でoriginalだと考えていることは25年前から存在している
翻訳by間瀬


(この曲のアレンジはワイルドなロックである。この曲は、ヘインズ氏が「君たちがoriginalだと考え」一生懸命、一年とか掛けて無い知恵を振り絞って作った曲のパロディを自分が5分で作ってやった、ということなのか?
 と、私は受け取ったのだが、制作者が実際に考えていることなど端からはわかりません)


どっちにしろモグラは25年も生きない。
天才原型師の名をほしいままにした(しかし作品は全ていつの間にかハニワになってしまう)モグ太くんも年老いて死んでしまいました。前方後円墳に彼の作ったハニワに囲まれて、埋葬されたモグ太くんもいつの間にか忘れられていました。
16代目モグラ議長が言います。
「**さん、私はこの美しいモグラ帝国を豊かな地底の王道楽土とするために生涯を費やす覚悟でおります。そのために是非あなたの人間としてのお力をお借りしたい」で、モグラ議長はモグラシャベルを突き出し、私と固く握手し、一週間後に(日時はモグラ陰陽寮のモグラ阿部一族が我が身を犠牲にして計っています)、17代目モグラ議長がやってきて「**さん、我が帝国の近代化のため、あなたをお雇い外国人に任命します」
「またですか」
私はうんざりしました。16代目モグラ議長もどーせ死にました。
新モグラ議長は、お礼はたくさんいたします。と言います。
経済and文化どっちも貧乏国家が、外国人にあげられるものといえば、国内でしか通用しない急造の名誉と権威だけです。鍾乳洞ホールの七色の鍾乳石:地獄茸の上で、わたしのモグタ川モグ之介賞授賞式が華やかに行われました。
もう、モグ木賞もノーベルモグラ賞もモグラ星雲賞もモーグー賞andモビュラ賞もジェイムズ・モグトリー・Jr賞も500回くらい貰ったからもういいです。
むなしい。

地下アーケイド街の露店で売っているのは干からびたミミズとかなんですが、
ジュエリー・モグラでは、錆びた缶コーヒーのリングプルとかが売っていて、若いモグップルが結婚指輪にして幸せそうに笑っています。こいつらはモグラ特権階級です。

突然、アーケイドが爆発し、地下の町は大騒ぎになりました。
やがて自由モグ権運動の先鋭的闘士モグ山モグ権が逮捕されました。
さあ拷問です! 思想弾圧です!
打ち捨てられた地下室を改造したモグラ警察の寒々しい取調室で、
モグ山モグ権はありとあらゆる残虐行為を! 
といいたいんだが、モグラに考えつく拷問だから、体毛を一本一本むしっていくだけです。黒い丸目を理想に燃やしたモグ山モグ権を、モグ憲巡査たちが取り囲み、秘密書類の在処を吐け! とか怒鳴りつつ、一生懸命体毛をむしろうとしていますがモグラシャベルではうまく毛が掴めません。
私は政府に雇われたお雇い外国人なので言いました。
拷問方法にももう少しいいのがありますよ、三角モグ馬とかですねー。

モグ山モグ権は獄中死しました。
辞世の句です。

搾取され地底の隅で泣くモグの自由への声を今こそぞきけ
何か結構それっぽいですな。

モグ山モグ権のアジトからは秘密書類……人間界から極秘輸入されたモグラ民権家たちのバイブル

『♪自由自在にハッピーになる素敵な言霊操作術♪』

が見つかりました。
言霊を本気で信じ尊重するなら、言霊なんて言葉を軽々しく使うなよ。と思いました。

むなしい。
そしてまた18代目モグラ議長が胸を張ってやってきます。
命短い人類に混じって、長い時を渡っていった『ポーの一族』のエドガーとアランとか、バンパイア・レスタトとかも、こんな気分であっただろうか。
違うような気がする。
むなしい。

つうか鎖国しろよ。

実在の事件と作品モチーフが偶然被ることについて……
意図的に、実在の事件に材を取った場合ではない。
偶然被った場合だ。若干身に覚えがなくはないです。
同時代にいれば、strangeな/人生=アウトサイドアートな人とも考えが被るところがあって当たり前で(もちろんこちらの想像もつかないことを考えている人がいる/意識のあり方みたいなの自体が違うかもしれない、くらいのSFマインド? をなくすのはいやだ)、創作とかするような人は、別に自分に限らず何かの予兆みたいなのが多少読めてしまうのではないかと都合良く考えてましたけど、現実の事件に負けない/実際やってしまった奴に勝つのは大変である。
虚構は『決して』現実の事件に勝てない(この『勝てない』というのは何が基準なんだ? 端で見ている傍観者をどれほど打ちのめすかという意味か? 何か絶対的な基準があることを、アートとして凄い的な基準があることをどうも私は夢見ているのか。でも事件はアートじゃないですよ)という意見には賛成しかねるのだが、
何だろ、大抵こちらが見ているのは「現実事件の報道」であって、現実事件じゃない。
「報道」には「虚構」が(端で見ている傍観者をどれほど打ちのめすかという意味に於いて)勝てるかもしれないけど、
自分が、実際、事件とか災害とか抗争とかに巻き込まれたり何か「やってしまったり」した場合、虚構どころじゃないだろうと思うが、しばらくたったらそれすらネタにするようになったりするんだろうかそれはダメージの受け方の程度の問題のような気がする。軽い事故とか事件は、もちろん平気でねたにしました。何か実生活でバタバタして参っていたとき、それでも無理に時間を作って少しずつでも書き続ければ、書くこと自体が救いになるよと、言ってくれた方には大変感謝している。それが本当だかよくわからないが、その言葉のおかげで凹みバタバタ時期にもぬけぬけと書いていたから、その言葉が、言った人の人柄とかにも寄り場合によりけりだろうが、実効性もないことはない、のだろう。
でも、「私は実は小説を書いている」という事柄を持って、小説の内容とは無関係に、『小説書いてる=インテリゲンチ』ャという現在では既にまったく成立していない概念を思い出し、それを支えにするっていうんじゃいけないよ。いや、精神安定的にはそれで安定できればそれでいいんだろうか。溺れる者は何でも掴む。

自分の小説じゃないけど、まだこの本とかあの本とかがあると、思えたこともあった。それは本当に助かった。
なのだが、本当に決定的に酷い目に遭って……あるいはやってしまってという可能性もないとは言えない……破壊されてしまったらどうなるんだろう。
私が興味があるのは結局それなのか。っていうか何でそんなことに興味があるんだ。

ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』は近代西洋文明人の夫婦が彼らの領域を踏み越えてしまったために崩壊していく話だった。時々思い出す。
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ブログ内容とほとんど関係がなかった。
『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』

あけましておめでとうございます。

毎年、初回のブログには、『今年の目標』を書いていた。
個人的な目標……、
それはよほど面白いものでもなければ、
ブログで公言するようなものでもないだろうが、
書いていたんですね。今年は気長に執念深くだ。っていつもと同じ。

昨年何かの拍子に『葉隠―マンガ日本の古典』を読みました。マンガじゃなくて原文(ただし活字化・校注付き)で読みたいとまで思いませんすいません。
葉隠では赤穂浪士の討ち入りが批判されているらしい。
まあ赤穂浪士の討ち入りは
1年掛けて綿密に計算した上で行われたそうですね、
綿密に計画して目標を達したんだから凄いじゃんと思うんだが、
葉隠作者たちは
(以下の文は滅茶苦茶うろおぼえである。以前はこんなサイト物好きしか見ないよ、だから、引用先がネットの文でない限り、うろ覚え引用やりまくりだったが、インターネットの普及とともに、それでもこんなサイト物好きしか見ねーよ、であっても、こういういい加減な引用というのはやはりやってはいけないだろうなあと思う。『葉隠』の場合は、作者たちがとうの昔になくなっているので、今回はまあいいか許してくれ葉隠作者の方。興味がある方は、引用怪しいので本編に当たってください)
『図に当たらなければダメじゃん、というのは賢しらなり』
みたいなことを書いていたらしく、結構この考え方は新鮮に思えた。
『図に当たる』は、『目標を達する』といった意味か。昨今の言い方では『結果を出す』みたいな言い方が近いように思える。
結果を出さなきゃダメじゃんは賢しらである、という考え方は、現代には向かないにしろ、いや葉隠のころだって農民が農耕大失敗したら大変困ることは目に見えているのだが、まあ現代人and当時の農民は葉隠作者たちの対象読者ではない。実際の現場に通用しないから、そういう非合理な考え方自体無し、とするのもおかしいだろう。結果を出さなければ、という思考を賢しらだったか賢しげだったか忘れたけど、要は『思い上がり』だと明瞭に断言するのは、受け取るこちらの心情的には、何か新鮮な魅力があった。

それにしても自分にも倫理があるらしい。
それは、質実剛健であれ、勤勉であれ、誠実であれ、みたいな、私本人を知る人には呆れかえられるように真っ当なものなのだった。退廃なんて問題外ですよ!
倫理があっても実行できるとは限らない。性質は基本的に怠惰である。性格は不自由である。感情は暴走である。
その辺を倫理で克服する、という方法もありますね。
ああ、だが、人格の陶冶を目標にするって、なんか退廃的じゃないか?
知らない間にインプットされていた倫理が、どこからやってきたのかも興味があることではある。
翻って美意識があり、これは一方では、質実剛健に併せたように簡素な建築空間やシンプルシックなもの、土地だと北のほうの針葉樹林に惹かれるのですけれど、気分だか状況だかによって、暗黒デコラティブなものや、果実の腐った匂いのする南国が好きになる期間が突然来ることもある。

最近の私の娯楽は読書onlyであり、
流れるように静かで湿気た日本文学か、
知りたい事柄に関するノンフィクションばかり読んでいた。
昨日は、全てが鬱陶しくなり、
あああ、ラテンアメリカ文学が読みたい。
何かとんでもない、原色が錆びたり腐ったりした感じのモノが読みたい。となって、手元にあるラテンアメリカ本は、何があったっけ。とりあえずボルヘスの『伝奇集』が、まるで牢名主のように積み上げられた布団(そこで寝ている)と、プラスティックケースの深さ二十センチほどの谷間に十数冊の本が突っ込んであり、そこに多分あるはずだが。でもー、ボルヘスって気分じゃないや。……凄い贅沢な言いぐさですね。何かもっと鮮烈でエモーショナルなやつ。
(レム・コレクション『高い城・文学エッセイ』の、文学エッセイでスタニスワフ・レムがボルヘスを批判していた。と同時に、フィリップ・K・ディックを、賞揚していたりもするんだが、『愛おしいガラクタ、独自性のあるアウトサイダーアート』みたいな感じに扱っているのが、微妙に切ない。私が一番読んでいる作家は多分PKディックなんだよ)
ということで本棚の奥を漁ったら、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』が発見された。
短編集で気軽に再読でき記憶と同じく色鮮やかで少々悲しく面白かったです。変な事件があると、人が集まる。そうすると、すぐに写真屋と楽団と食べ物の屋台と見せ物小屋と移動式芝居小屋とキリスト教関係者がどっと押し寄せてくるのだった。