2006年11月アーカイブ
ネット落ちから昇ってきました。
あまりブログを書いたりしませんが、
メールチェックは2、3日に一度はしますので、
よろしくお願いします。
小説を書いたりもしています。とりあえずねむい。
また今度。
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眠いんだが。
英国のMr.Luke Hainesの新譜が出ていますよ。
元ジ・オトゥールズのフロントマン(ワンマン)で、
ブラックボックスレコーダーというユニットもやっておられました。
わたくしは10年以上彼のファンです。
今までのルーク・ヘインズさんの音楽は、
tragic rock'n'rollで、美しいメロディで、ギターポップに分類されてしまうのでしょうか。
彼の音楽は、なんというか異様に耐久性に富んでいます。
わたくしは、音楽は気に入ると同じミュージシャンのCD(英米ロック中心)を
ずーーーっと、耐久性テストのように聞き続けます。
多分彼のトラックを千回くらいは聞いているけれど飽きません。
美しいメロディのギターポップでも、例えばBellandSebastianとかと違って、
受ける感触は、ほっとする、癒されるー、とかではなく、
彼の押さえつけられた凶暴な? 意志 (彼我の間には言語バリアと文化障壁があって、
わたしにその意志が理解できているとはいえない)を
見せつけられているようで圧倒されます。中毒性があります。
例えば外で、『音楽持ち運び機械(iPodとか昔のウォークマンとかそんなやつ)で聞くと、
周囲が満員電車といったちょっと嫌な状況であっても
周囲から自分を遮蔽する効果が、他の音楽に比べ、かなり高いように思います。
BGMには向かないですね。
……、オトゥールズの2ndが出たころ初めて聞いて
『これはすごい! モノクロームの抒情性があああ、この人たちは絶対巨大になる』といった、
オトゥールズ讃をレポート用紙に夢中で書き、
周囲の洋ロック好きに薦めまくった。反応は
『これが好きなの、マジ?』
とかなりけり。
江戸川乱歩の『孤島の鬼』を薦めたときには、
薦めた人ほぼ全員に受けたのだが。
まだ新譜聞いてないので、今回は何とも言えません。
AMAZONに注文したのだが、届くのに10日くらいかかるらしい。
"Off My Rocker At the Art School Bop"
ジャケットで引いてはいけません。

しばらくネット落ちと数日前に書いたが、
前回からく「しばらく」で想定される期間よりかなり短い日にちしか空いていない気がする。
でも、ぬけぬけとブログを書くのだった。
わたしの部屋には
「思いついたことをメモするノート」があり、
それに、は、
あまりにくだらないことばかりが書かれてあった。
2006年10月
「ボリス・ヴィアンのうたかたの日々」しか読んではいけない世になり、
他の本は全て禁書。焚書坑儒哉。
昔の読書人が「論語」とかを熟読していた時のごとく、
『うたかたの日々』に、
宇宙も人生も究極の道も、すべてがこの一冊に隠されていると信じられ、
何もかも読み解こうと、
必死で彼の本を読みふける向学心に燃えたお洒落な人たち。
(『日々の泡」
のタイトルでの別訳もあるが、どちらが良いかは知りません。わたしは『うたかたの日々』のタイトルのほうを読んだ。
岡崎京子の漫画化作。『うたかたの日々』)
2006年10月
そして『はたらく猫ちゃん』(または搾取される猫ちゃん)
部分麻酔手術の患者さんを接待する猫のこと。
役割:
1.患者さんの緊張をほぐす
2.患者さんの無聊を慰める。
3.患者さんの生きとし生ける物体への潜在的愛情を呼び覚まし、
自然治癒力を高める。
4.時々、外科医に蹴られる。
5.患者さんの血や摘出された患部が餌。
6.非常時には臓器を取られる。
手術室の隅には猫トイレと猫の草が。
猫アレルギーとか衛生状態とか無視。
区立***病院勤務 山下Dr.談
『いやー、マタタビを詰まらせた患者さんが来た時は大変でしたね』
手術後、患者さんも医療スタッフも退室の後、
暗闇に取り残されにゃーにゃー泣く手術室づき猫。
手術室は清潔で、捕まえて遊ぶネズミもいない。
手術室いかでか猫の慰まむ とらへて殺す ねずみだになし
バカねこも賢しきねこも血を吐きぬ 動物虐待小説がやりたいのか我
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↓以下二行は、有名な偉い人が作った和歌にインスパイアされたらしい。が。
心なきねこもあはれは知られけり 実験体なき秋の手術室大セール
見渡せば放射能はあるのかな ねこ手術室の秋の夕暮れ
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手術室 排水口は ねこ帝国に つながらむ
ねこ楽園と なりぬれば 千匹のアジを食ひなましものを
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ああ
では、またしばらくネットから転がり落ちています。
ごきげんよう。
余裕がないのでネット落ちします。
メールチェックも数日に一度になるため、
失礼があるかと思いますが、
よろしくお願いいたします。
我ながら
最近あまりこのブログ面白くない。
中途半端なのだ。
どういう立場を、というか心構えを、ブログに対して取って良いか
決めかねている。
ブログとは別に、わたしは小説を書いています。
そちらは、あくせく書いてみたり、書こうとしては失敗したりしています。
以前ならweb日記に書いていたかもしれない、
憎悪も怨念も小説のために溜めておきます。
あ、でも作品にしたいなら、有るか無きかではあっても、客観性を失ってはいけませんよ。
ブログの小話は小話で書くのが好きではある。
気づくと歩きながら、
モグラ帝国帝王の正体について考察していたりもする。
モグラ帝国のくせに近代化なんかするんじゃない鎖国しろ鎖国、である。
バカ小話はバカ小話でわたしの芸のうちである。
これが最近あまり面白くないのは
自分の小話作成定型が出来つつあり、
それを微妙に定型から外すとかばっかりやっているからか。
単にバカ小話が不調な時期なのかもしれない。
ブログでは、
バカ小話/フィクション以外、
普通の日記を書いたりとか、小説にするわけではない生の考えを吐露したりもできますね。
自分の日常は別に面白くないと思うし公開する価値もない。
何か考えを吐露する、は、
もっと自棄気味で暴走気味に書いていた時期のほうが
酷く間違ったことを書いてたりもしていただろうけれど、
面白かったかもしれない。
少なくとも、わたくしにとってはストレス解消になっていた。
ブログ以前---
『レンタル日記サービス』で、
日記(といいつつフィクションも混じっていた)を書いていたころと、
『ブログ』になってからだと、ブログって、何かpingとかを飛ばしたりするしで、
凄く大げさに感じてしまい、まとまった文でなくては出してはならないように思い、
思いついたことを素早く書く、が気分的にやりづらくなっている。
日記レンタルサービスで日記を書いていたころには、
3行で終わる日記なども平気で書いていたのですが。
それからブログ文は、ワールドワイドに閲覧可能なのだった。
以前は、正直なところ、web日記を書くのが、
街のミニコミ誌に雑文を書く、程度の感覚だった。
(わたくしがサイトを始めたのは2000年です)
もちろんミニコミを読んでくれる可能性のある街の住人全員が知り合いで仲良しなわけでは無く、
住人の中には、我が文を読み、怒る・呆れ返る・嫌悪する人もいるかもなーとか思ったりもしたし、
一応、web日記は、ワールドワイドにアクセス可能だと、
知識として知ってはいても、
やはり街のミニコミ誌感覚があったことは否めない。
公開前提当然、むしろ読んで欲しくて書いていた小説とは、
書く上での感覚も、書くための手間の掛け具合もまったく違った。
ワールドワイドウェブといっても、
ネットに接続できる人が全員
わたしの以前の日記やこのブログにアクセスするわけはないのであった。
重要な情報があるわけではなし。すぐに役に立ち、これを読めば自己実現が可能になったりとかしないし。暇つぶしにくらいにしかならない。
たいていの個人サイトというのはそう大勢の人にはアクセスされないだろう。
それでも
ブログ文は、あとで削除しようと
ワールドワイドウェブで公開してしまった以上、
『残る』かも知れない可能性を、思いついたのだった。
Internet archiveとかが、何だか知らないけれど
ワールドワイドウェブのある時点を丸ごと溜めていたりしているらしいですね。
わたしのブログが、
某年某月某日のワールドワイドウェブの記録の一少断片として、
『残る』のは
もう既にそうなってしまっていることであり、異議申し立てをする気などない。
だけど、それらは、
わたし個人の記録、『(C)わたし』といった感じで残るわけではなく、
未来の、なんかの研究者の人だけがアクセスして、例えば日本語の変遷とか、
往事の文化とか民俗学とかの、その資料の一環にされるくらいだと考えていた。
今から半世紀以上も経ち、
わたしが白寿になったとき、
姪の孫とか、年若い友人とか(いれば)、ボランティアとかが、
わたしの、過去にネットで書いた文章のすべてを、
それこそコマンド一つで全部捜しだし一覧表示させ、
それらをやはりコマンド一つで、紙か何かに出力し
きれいに装幀して、
プレゼントしてくれたりして。
(プライバシーの概念なんて、半世紀以上後には全然変わっているだろう)
まあ、それならそれで、
痛い文とか出てきても、自分がうわーぎゃー! と、のたうつか、
半世紀以上前の自分なんてもう関係ないよ、うわー痛い文(笑)、と思うのか知りません。
しかし、それくらいだろうか。
想像もつかない嫌な利用のされ方をされる、という可能性はないか。
もう白寿だから、もうすぐ死ぬからいいや、
死んだあとならどうでもいいや、であったとしてもですね。
アンドロイドとかナメクジが、
わたしの書いた文の束から予測される人格を与えられ冥王星で大繁殖してネガティヴ思考に漬かりまくっていたりとか。
わたしに似た人格だろうとわたしじゃないし、それに死んでるからいいや。
いや、未来の技術で延々と延命され、延々と過去に自分が書いた文を読まされる、
などということが行われたり……誰にどんなメリットがあるんだろう……。
何しろ未来ですから何があるかわかりませんよ。
もっと嫌なこと……。
わたしの文しか日本語(あるいは人間語)が残らず、
人間語はこういう言語だと宇宙言語学界のファイルに仕舞われる。
……まあいいか。
