2006年9月アーカイブ

さて、10年後、わたしがいつものようにモグラ地下洞でダラダラしていますと、最近近視に老眼と乱視も入って来たため、よくは見えませんが、洞の天井に、地上と通じる小さな穴でも開いていたのでしょうか、上から紙の束がどさりと落ちてきました。
何だろうと思って見てみると、すべて札です。
驚いてわたしは、木の根の蔓でフレーム補修をしたメガネを掛け、本当に札なのか、手に取ってじっと眺めました。札束は中型段ボール一箱分ほどもあり、一万円札、五千円、千円札が入り混じってます。いったい全部でいくらになるでしょう。

おお。

最近のモグラ社会は文明開化が進み、貨幣経済も導入され、一部で農耕も行われています。
奴隷モグラに自転車を漕がせ発電させ、植物育成用蛍光ランプを明々と点灯し、ちなみに栽培されているのは米と除虫菊です。
モグラは人間界の物を喜ぶので、人間の金を持っていけば米を分けてくれるかもしれないとわたしは考えました。いや、モグラ肉やミミズの刺身やカブトムシの幼虫にはちょっと飽きていたのです。わたしは新札の匂いを嗅ぎつつ、うっとりポケットに詰め、米のご飯を想像しました。
10年の間に札のデザインが変わったようです。一万円は、円谷英二で、五千円は富野由悠季、千円札は庵野秀明です。
それとも偽札が捨てられたのか?
前の五千円札の樋口一葉の顔、怖かったよな。
まあ偽札でも、モグラにはわかるまい。丸め込もうと思って、わたしはモグラ農家を訪ねました。
ちょうど稲刈りが終わり、収穫祭の真っ最中で、鍾乳洞棚田でモグラたちが楽しそうに踊っています。
植物育成用蛍光ランプ点灯用発電のため自転車を漕ぎすぎた奴隷モグラが(モグラが自転車を漕ぐのは難しい。鍾乳石で作った高下駄を履いて漕ぐ)、半死半生で首だけ出して棚田に埋められています。来年の豊作祈願として大地に捧げられているのです。肥料にもなり、一石二鳥だそうです。
わたしはモグラ農家の跡取り息子のモグ太郎にそっと声を掛けました。
総領ではなく、跡取り息子にしたのは、若い相手のほうが進取の気質があり、貨幣経済にも抵抗が少なく、話がつけやすそうだと考えたからです。
わたしが差し出した札を見て、モグ太郎は叫びました。「人間界の物だ!」
モグ太郎は一万円札をためつすがめつしていましたが。やがて素っ気なく言いました。
「これではダメです。人間界の物はモグも欲しいんですが」
「だったら、この札で人間界の物が買えますよ。モグターネットで注文できますよ」
「現金があっても、決済方法がなきゃ仕方が無いじゃありませんか。ああ、モグーオークションを見てどれだけモグが(『僕』が訛った自称)シャベルをくわえて、物欲に身を焦がしたか!」
なるほど。モグ太郎が言います。
「**さん、あなたが中学生の時、当時は珍しかったアニメショップに遠征して、買ったシャアのメモ帳となら、米5キロと交換しましょう」
「え、あああ、それはとうの昔にどこかへ行ってしまいました。いや、買った当初はものすごく大事にして勿体ないからといって使わないうちに忘れてしまい、後に、気に入った
物はガンガン使っておかないと損だなーと思いました」
モグ太郎はプイモグと横を向き、また収穫祭のモグラ踊りを踊りだしました。

わたしは別の農家に行きました。
「**さん、あなたが幼児の時、オモチャ屋の前で路上に寝そべって泣きわめいて買ってもらったガマクジラのソフビをくだされば、俵一俵の米をあげます!」
もうねーよ!
別の農家の、今度は若奥さんに声を掛けてみました。
「スーパードルフィーの冥王聖夜くん(仮名)をいただければ、今晩、姑の目を盗んで穀物倉の鍵を……」
あー、スーパードルフィーは一度も持っていたことはないんですが……、
いつからモグラ帝国は近代化を突き抜けてオタク帝国になったのでしょう。
長老モグラは
「大江健二郎のサイン本をくれれば、ただし初版で極美本で……」
そんなの持ってないよ! しかし戦後日本文学オタクのモグラもいたのか。
この分だとビートルズ・ブートレグオタクとかプログレオタモグとかありとあらゆるオタモグがいるのだろうか。
オタモグの定義はともかく、わたしの所有物にオタモグが価値を見いだしそうな、珍しい物体はほとんどなさそうである。
わたしにはコレクター気質がない。コレクターたる条件の、分類・整理能力、フェティシズム、記憶力、財力に欠けている。財力はさっき空から降ってきたはずなのだが役に立ってないじゃん。
わたしは実用品ではない物をcompleteして大事に取っておくということをしないorできない。全集の2巻と13巻だけ買うとか平気でやるし、もちろん好きな本だの何だのはあるが、何故かすべて保存状態悪し。
「大江健二郎氏……、ご本人なら、偶然、お見かけしたことがあります。多分、ご本人だろうと思うんですが」
長老モグラがしょぼついた目を輝かせました。
「北欧出身らしいインテリゲンチャな感じの長身の白人男性と、にこやかに話しながら街を泰然と歩いて行かれました。夕刻が近づいており、陽光が斜めになってきたためか、
大江氏の背からは白い後光が立ち上っているように見えました。わたしは眩しさと崇高さに立ちすくみました。ああ、これが文化人という物でありましょうか」
「お姿が目に浮かぶようだ……」
長老モグラは目を潤ませ、有り難い話を聞かせてくださったと、わたしに何度もお辞儀をし、お礼に米をあげようと言いました。

もらった米は一粒で、こーまーかーい字で、般若心経がびっしり書いてありました。もしかしたら大江氏の小説なのかも知れないけど、字が小さすぎて読めない。
ついでに精米してあるから種にもならないのだった。

巨大書店に行き本の量にクラクラする。
不老不死で、古今東西南北の書かれた/印刷された/その他の文字列をずーーっと読むことになったらどうしようとかあり得ないことを考えつつ
気を取り直して本を物色する。
小説の棚から、いい加減に一冊取り出して、ページを開いた。


「ナオくん、昔ね、自殺未遂したことがあるのよ」
 台所でスイカを切りながら、おかあさんが言った。
「えっ……」
 信じられない。じゃあ、今の、真っ黒に日焼けしたナオくんの笑顔のまぶしさはどうしてなんだろう、と里美は思った。この町に戻ってくるまでの二年間、アフリカを放浪したナオくんは、そこで何か素敵なものをみつけたのだろうか。ナオくんが羨ましかった。
 縁側の外の林でセミがミーンミーンと鳴きだした。
 セミの声のタペストリーは、ナオくんと里美を隔てる、透明なカーテンのようだった。
『蝉の声のシャワー』蝉採り出版社・刊より

里美って誰だよ。たまたま開いたページには上記のような文があった。
これは、あちこちで見かけた、何となく上記のような感じを受けた文の群れ、の印象を元に、ひどい部分を誇張して、わたしが書いたものであり特定のモデルはない。
で、すいませんもしかしたらこの本を最初から最後まで読んだら凄まじい傑作である可能性もなきにしもあらずではあるが、書架に戻した。『蝉の声のシャワー』の横の、別の本を取って開いてみたら、まったく同じ文章が出てきたのでわたしは驚いた。

「ナオくん、昔ね、自殺未遂したことがあるのよ」
 台所でスイカを切りながら、おかあさんが言った。
「えっ……」
 信じられない。じゃあ、今の、真っ黒に日焼けしたナオくんの笑顔のまぶしさはどうしてなんだろう、と里美は思った。この町に戻ってくるまでの二万年間、D県F村の農家の倉を装った亜空間に抑留され、洗脳されミイラにされ、死後アニメキャラにされ永遠に笑いの表情を取り続けなければならないナオ君と呼ばれている遠隔操作されているまつろわぬ魂の塊だった。
 里美は羨ましいというか、何を思えばいいのか。(ナオくんの精子は二万年の間に干涸らびてしまった。里美と性交を前提にした交友は不可能)
 縁側の外の林でセミが言った。
 ナーオー君ーでーすー

せっかく巨大書店に来たので、凄く良い本がひっそりたくさん隠れているだろうと思って、里美は奥の書架に歩いて行った。
セミは鳴いてないよ。

サザンカの葉にびっしり並んだアメリカシロヒトリを200匹くらい虐殺する。
毛虫たちは、見事にびっしり並んでいますね。新品のクレヨンケースを開けたみたいです。
今日は雨なので虐殺休み。
毛虫に食われて葉の1/3くらい枯れかけたサザンカに
可哀相ーと言ってみるがピンと来ない。
虐殺する対象である毛虫は、可哀相じゃないのか。
正しい、と思われる感情反応をしようと試みるのはやめたまえ。

モグラ帝国では、先日、近代化のために
憲法が制定されました。

第一条 和をもってモグラとなす。
第二条 おまえらは所詮モグラだ。

第一回普通選挙が行われ、四代目モグラ議長が総理大臣を狙っているのですが、
対立候補がいないとやはり白熱の選挙が演じられないというわけで、
四代目モグラ議長の画策で、
近所の人たちに馬鹿扱いされている自称・映画評論家のモグ吉が
対立候補に立てられました。
モグ吉は芸術至上主義党の党首にされました。
そして選挙結果は、
例のごとく
わたしに対する死刑判決であり、
『人生を楽しむ』とかは、多分、バブルのころ
雑誌の見出しにでも
書いてあったのを見かけたのに違いない。
虚構の概念かもしれない。

『やおい臭い文芸書ガイド』というような本があっても不思議ではないような気がしてきた。
しかし、そんな本で紹介されている作を読むような人は、ガイドブックが無くても勝手に探して読むか? 

わたしの場合、「そういうことが書かれた本」についての情報は、別に意識して探したわけではないが、
ボーイズラブという言葉もなかったころの、先人の同好のお姉様たちからなんとなく伝わってきた。
口コミ伝承はもうないのだろうか? それとも、それらの本は、最初に読んだ本が商業ボーイズラブだったりする若者には退屈なのだろうか。
試みに、わたしの覚えている限りの「それくさい本」を、紹介してみることにする。
わたしは記憶力が破壊されており、読んだ本の感想もうろ覚えである。未読の本も混じっている。良い紹介者ではないことをお断りしておく。

この辺はスタンダードだと思うがスタンダードって基準はもうないのか?

*森茉莉 『恋人たちの森』『枯葉の寝床』『日曜日には僕は行かない』全部こちらに収録恋人たちの森
 あまりにスタンダードだけれど敬意を表さないわけにはいかない。
 読点の打ち方に驚いた。知的にも精神的にも偉大な中年男性(フランス人との混血でギラン・ド・ラ・ロシュフコォとか言う名前だったりすることもあり)が、何となくふわふわした美青年を庇護する形の悲劇的な恋愛。葉巻と暖炉と武蔵野の森と、強烈に空間を作っています。数年前に再読したら萌えた。


*福永武彦 『草の花』
 学生時代友達が熱中していて、熱心に薦められたけれど、その当時わたしは幻想小説か海外翻訳小説ばかり読んでいて手を出す気がしなかった。以前のブログで、昔読んだ本を二十年経って再読すると、うーん、と思うことあり、と、不遜にも書いていたけれど、この前読んでみようとしたら、この作品は、
『わたしのほうが賞味させていただく期限切れ』だった。
枠物語になっていて、枠部分の語り手が結核サナトリウムで
不思議に肝の据わった少年-青年に出会い、彼の死後、彼の手記を読んでいく構成になっている。
青年の手記に入った途端に、わたしは気恥ずかしくなって読むのをやめてしまった。
格好いい/いささか格好良すぎる/な文章ではあったのですが、思春期の、死を前にした自己の怜悧でセンシティヴな分析が始まる予感がして、ずるずる中年になって怜悧な自己分析もせず、死もまだ目前ではない自分には覗いてはいけないような感じがした。恐らく、学生時代の友人が薦めてくれていたころ読んだら、夢中になったと思う。

*堀辰雄 『燃ゆる頬』『燃ゆる頬・聖家族』収録
 読んだの遙か昔なんですよ。ロマンティックでしたような。

*折口信夫(おりくち・しのぶ)『身毒丸』(しんとくまる)『死者の書・身毒丸』収録
 時代小説・歴史小説と聞くと敬遠していた。
猫山藩豆腐奉行山田元之助は、若輩ながら江戸に学び柳猫流免許皆伝の使い手となったが、一つ、奇妙な癖を持っていた。道場稽古を終えた後、同輩たちの誘いを慳貪に断り、夜を徹して、坐し続けるのである。別に書見をするわけでもない。単に猫踊りについて妄想するだけ
とかいう文(上の文は当然滅茶苦茶である)を見かけると、何かもっさりしているように感じていた。
 しかし、この作品は文も何もかも、もの凄く格好良いのである。さすらう芸能集団に属する身毒丸と、師匠の法師の濃厚な関係、そして彼らの行く青田や山の緑、身毒丸の流す血の色までが、鮮やかに見えてくるのだ。

*江戸川乱歩 『孤島の鬼』江戸川乱歩全集 第4巻 孤島の鬼
 本を読む習慣のない友人5人ほどに薦めて、全員が面白いと読みふけっていたので驚いた。猟奇・サスペンス・同性愛・奇怪な妄執・全部揃っていて語り口がおどろおどろしくて最後は切ない。こういう本があればもっと教えてくれと言われたが、わたしの知る限りないですよ。あったら誰か教えてください。

日本編:同性愛的なモチーフを書いた作家としては稲垣足穂が有名ですが、わたしにはこの方の作の良さがよくわからないのです。三島由紀夫は『仮面の告白』とかになるのかもしれないが、男女の話だが『憂国』のほうがエロい。漱石の『こころ』の先生とKが怪しいとかはまあどうでもいいです。
佐藤ラギ『人形(ギニョル)』に興味があるけれど未読。
狭い識見で、思い出しつつ書いているので、不備は多かろうと思います。

面倒になってきた。

*アンドレ・ジイド 『背徳者』
 アラビアが舞台。退廃と官能の逃避行先としてのアラビア。
*トーマス・マン 色々
*ヘルマン・ヘッセ 色々
*トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』
*映画『テルレスの青春』とその原作はムジール(原作の方は途中で挫折)
 ギムナジウム。『トーマの心臓』などに影響を与えるきっかけになったのではないかと想像する。
*ルース・レンデルがバーバラ・ヴァイン名義で書いた中には男性同士の、例え同性愛行為を行っていても、ラブレスで悲惨な関係を冷たく書いたものがある。
『長い夜の果てに』 『哀しきギャロウグラス』
*ロレンス・ヴァン・デル・ポスト 『影の獄にて』
突然思い出した。映画『戦場のメリークリスマス』の原作。映画よりずっといいと思った記憶がある。
*テリー・ホワイト 『真夜中の相棒』
これは同世代のお友達に数年前、教わった。ドロップアウトし、薄暗い都市の隅で危険な仕事をする、しかしピュアな男たちの、ゆるやかで優しい関係。多田由美氏のコミックが好きな人はお好きなのではないでしょうか。

海外編:ウィリアム・バロウズとかジャン・ジュネ(すいません途中で止めました)とかは有名だが読みにくくはある。物語に没入したいという方にはあまり向かないと思う。わたしは全体を貫通する、お話、脈絡、がわからないと読むのがつらい。
オスカー・ワイルドの良さはわたしには理解できない。

*J.G.バラードについて、
 異常な思想、ヴィジョンに誘う導師的怪人物と、彼に引っ張られる主人公という人間関係が出てくることが、たまさかありと書いたけれど、こういう関係は相当エロティックでもある。そして前に書いた『楽園への疾走』を除くと、わたしの読んだ限りでは大抵それらは男性同士である。
『コカイン・ナイト』あたりが結構読みやすい。
*デニス・クーパー 色々
ポスト・パンクで殺人も悪魔崇拝儀式もある。あまりなモチーフ満載なため、真っ当なゲイの人たちから、デニス・クーパーに死を、と言われたりしたらしい。殺人したりして何か(そして何かが何かとは何も語られない)を求めていたりするけれど絶対に手に入らない感じ。
最近は翻訳されていないようですがどこかで出してくれないだろうか。

*映画監督グレッグ・アラキ作品


恐らくもっともっとたくさん『男同士の尋常ならない関係』の出てくる凄まじい作があると思う。(一番のお薦めですか。そんなの『身毒丸』ですよ決まってるでしょう)


バラードのところで書いたけれど、
一人の人が持つstrangeな思想なり感覚なり欲望なりヴィジョンなりが、例えば『男同士の尋常ならぬ関係』では、増幅されたり、移っていったり、実際に行動に移されたり、あるいは一方が拒否したりする。
今現在のわたしにとって、やおい的な『男同士の尋常でない関係』への興味は、そういうstrangeなvisionを培養する揺籃の一つとして、である。

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今度の目的地は遠くて、行き着けたとしても暗くて怖い場所であることです。
わたしが小説を書くのは不安に押されてではないかという気がする。書くのも不安で怖いが、書かないともっと怖い目に遭いそうに思える。書けば不安が昇華されるかというと、
そうでもない。『人生を楽しむ』とかいう状態が本当にわからない。いや、もちろん楽しいこともあるんですけど、大抵はマイナス面の方に目がいく。