君はどうすれば満足する?-my,神社計画

初めてヒトの受精卵の出来方を知った時、
何千個だか何万だか忘れたけれど、大量の精子のうちたった一つが
月一で排出される卵子とくっついてどーのこーので、
それを知った時、わたしは、すごいですねーとは思いましたが、
生命の神秘に打たれるわけでもなく、
『それでなんで寄りによって』と思った、ような気がする。

違う精子で受精していたらわたしは同じ親から生まれても、
その子供がメスであったら今のわたしと同じ名前をつけられたであろうけれど、その同じ名前を持つ『わたし』はやはり自分を『わたし』と呼ぶでしょうが、今『わたし』と書いているわたしとは違う。
とても似ているのでしょうけれど。
まず間違いなく同じ両親から生まれた妹はわたしと、
性質の現れ方・やってることは違うけれど
やはり外見も性質も多少は似てはいるのだ。しかしもちろん妹はわたしではない。
だったらなんでやっぱり「寄りによって」その無数の精子の後に今この文を書いているところのわたしになるわたしがヒットしてしまったんだろうな、
それは単なる自然の必然によるだけの偶然で別に意味はないのだろうが、
ああ死ぬほど青臭いこと書いているなあ。
ここで、どこかから声が聞こえてきます。
『生まれてきたのは偶然で意味はなくてもそれに意味づけしていくのが人生ではないか』とか『あなたよりずっと恵まれない状況にいながら一生懸命生きている人がいるのよ』とか。そういう声が聞こえてくるので余計嫌になります。
いやめんどくさいじゃん。
わたしがわたしだとかそういう自意識が面倒なのですが、

ですから読書は良かったですね、

読書とは、未だ生まれざるいわば未生の生での体験であり、
本の中に没入する間、自らは活字の合間の、生とも死ともつかぬ
夜明けのごとき薄明の境に住むことが可能なのだ。

何ですか上の文体は……。

読書といえば、大昔のように『未生の生:じゃなくて、絶えず文句を言ったりしている自意識から離れた地点』から本内を眺めるような読み方ができることもあるけれど、そうでもないことも多くなりました。
ああ、でも読みたい本がたくさんあるのは良いですね。「何で寄りによって」であっても、一応字が読めるようにしていただいたわけですし、一生に読みたい本を読めるだけ読もう、そうしないと損だから。が当面の望みでした。その望みは別に変わりません。

以前書いた小説で、わたしは、
とてつもなく「夢(妄想)の男」、暗い美青年であり義務的な誘惑者でありロリータの教師でありセクシーな殺人鬼あるいは吸血鬼のような(普通の人間という設定でしたが)、そのような人物を考え、彼をして主人公の少女に問わせています。「君はどうすれば満足する?」

この質問は小説内でなされたものであり、問われたのはヒロインの少女ですが、もしこの質問がわたしにされたらどうしようかと考えてみると、わたしは答えられないのではと思いました。
読みたい本の群れをいけるところまで読み尽くす、が一応の回答ではあり、わたしは多分行けるところまで読んで、そのとき何かわかるのではないかと
期待していた(今でも期待している)
あとは、新宿伊勢丹で100万円買い物したい、とか
その後ついでにもちろん紀伊國屋書店に行って同じ額、
ヨドバシカメラにも。とか、
東北の温泉に行きたいとか。何か滅茶苦茶俗っぽい望みがあるわけですけれど、
万一実現できたとしても、
一定期間大変満足するだろうけれど、
その満足は多分いつか消える。

しかし今日唐突に、長期にわたってはっぴーになる方法を思いついたんだよ。

神社作る。祭神は自分。
わたしの神社で祭られるわたし、ノーベル文学賞もらうより(あり得ないが)、こっちのほうがいいや。このアイディアを思いついて本当に久々に幸せな気分になったのだが、この幸福感をブログ読んでくださる奇特な方に伝えうるでしょうか。というわけで、このサイトのタイトルを『死んだ恋人を捜して』といういかにもなんかわたしは欠落してますーではなく、『間瀬純子オンライン神社』にするのはいやだすごくいやだ。エディタに打っていて字面に恐怖した。

my神社を始めるにあたり、しかるべき届け出が必要なのだろうやはり。許可降りるのか。というか、神体僭称はあまりに図々しくないか。祭られるには、やはり祟りの一発くらいできないといけないんじゃないか。どうやれば祟れるんだろうな。
しかし、ご自宅の敷地や会社の屋上に小さな祠を建てている人たちはたくさんいる。その線でならでき得ることかもしれない。別にわたしはできなくてもできる人じっさいやっておられる人はいっぱいいるだろう。祭ってあるのは自分じゃなくて、ご先祖とか会社の創業者とかだろうけど。
my神社の敷地ーは、友達のT子さんのお宅の屋上で……とか勝手に計画進める。
(できるかわからないが、望みだけ書く)
my神社はやはり土の上が良い。
祠は小さくていいけど鳥居と鈴がないといやだ。ご神体は、ノートパソコンじゃだめですか。
祠の裏にケヤキと桜を植える。祠はホームセンターで材料買って適当に作る。
あと小さな参道に、おみくじと缶ジュースの自販機と灰皿とベンチを置く。中学生が深夜にたまってうるさい。賽銭箱をこじあけるんじゃねーよ。昼間は猫たちが寝ていて、近所の猫おばさんがエサをやりにくる。とても平和です。

祟りができねー代わりに御利益もない。このmini my神社の特異性といったら、お神籤の文面をわたしの文にするくらいですね。

あなたは自動お神籤器に100円入れ、お神籤を引きます。

64番 大吉 このみくじにあたれるひとは
猫ちゃんなら豆腐洗いに自信が持てます。
解釈:
わからない……。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 君はどうすれば満足する?-my,神社計画

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://dluv.velvet.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/64

このブログ記事について

このページは、間瀬純子が2006年6月22日 01:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「二十年、時間をおいて再読」です。

次のブログ記事は「また寝転がっていたい願望について」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01