2 雑感: 2007年12月アーカイブ
「スイーツ」という言葉がおかしいと揶揄するのならば、
「スイーツ(笑)」はスイーツという言葉それ自体か、その言葉を実際に作って流通させている側になされるのが妥当な感じがするのだが、
スイーツ(笑)は、その言葉を作る側が提示した女性像になろうとする読者に対してなされるのは、何か、不当な感じがするのだけれど。
「スイーツ」という言葉を作る人たちが何を考えて作っておられるのか、私にはわからない。
ただ、また自分になぞらえ類推してみる。
自分のサイトのタイトルを考えた時(2000年)、とにかくインパクトがなければサイトを見てくれる人はいないだろう、と考えた記憶がある。このサイトで発表する以前に書いた作に対し、「死んだ恋人についてあれこれ考え続ける主人公の話」が多いという指摘をいただいたためにこのタイトルにした。
「死んだ恋人を捜して」というタイトルに対し、「死」を現実離れさせ、美化しているという指摘があれば、それはまったくもっともだ。
「死んだ恋人を捜して(笑)」と揶揄されれば、まあそういう人々がおられるのは当然だろうと思う。
それに対してこちらは「比喩です」「美意識みたいなものからです」とかしか答えられない。いや、私、が何かを考える時には、色々な次元があって、ある次元では、死後の世界とかがあってそこで恋人のような何か、に巡り会えればいいと思っていたのだろう。死後の世界があるとは考えていないのだが、そういう彼岸の次元があればいいとどこかで思っているのだ。
「私が何かを考える時の次元がたくさんある」というのはそれは事実であっても、でも外部に対応する自分は一人である(というかそう見なされると私は見なす)。
ああつまり、彼岸の次元があればいいと思っている自分は当たり前だが私で、
死を現実離れさせ美化しているのは私であり、
それは、
タイトルにインパクトがなければサイトの宣伝が出来ないサイトが目立たなくて駄目という現実的な/功利的な(利になっているか謎だが)?事柄と結びついている。
と同時に、(死後の世界ではなくても)彼岸の次元もあって欲しいのも別に嘘ではない。というかそれがまずあった。私は後者をやり抜かなくてはならない、のか。
いや、必ずしも二者択一でもないと思う。ひとまず今日はここまで。(この続きをブログで書くかはわかりません)
「スイーツ(笑)」という言葉があるのを知った。
女性ファッション誌とかで作られた女性像を真似する若い女性(例えば、お菓子やデザートを女性誌でそう呼ぶように「スイーツ」と呼ぶ)を揶揄する言葉らしいのだが、
お菓子やデザートを「スイーツ」と呼ぶのは、確かにスイーツ業界にいるわけでもない私の日常感覚からいけば違和感はある。滅茶苦茶ある。目の前で「スイーツがね、」と言われたら、私も揶揄したくなりますが。
Aというちょっと意地悪な人が、Aが日常使わない単語を使う人Bを、Bの使う単語に(笑)をつけて揶揄する、という行為は「スイーツ」以外でもあるのか。例えば「シニフィエ(笑)」とかいう表現は多分ないように思う。「シニフィエ」は女性ファッション誌、女の子の用語などという些細なものではなく、何か難しい学問の用語だからだと思う。
「スイーツ(笑)」
まあ私は女性ではあるけれど若くはない。けれど、かつては若い女性であった。
若い女性であったころ「スイーツ(笑)」という言葉があれば、その言葉で揶揄されても不思議ではない。
自分が若い女性であったころのことを思い出しつつ、スイーツ(笑)といわれる人々に身をなぞらえて考えてみる。
ではまったく女性ファッション誌を無視して、お洒落を女性誌から学ばなければそれはそれで何かの揶揄嘲弄が待っていそうだ。
何か色々何をやっても笑われ、揶揄されるのかと、あちこちに罠があるみたいに思われる。しんどいなと思う。
ジュヌヴィエーヴのその後
筐底に秘してある(笑)、大昔にレポート用紙や大学ノートに書いた、一連の駄目ストーリーがある。時々、以前書いた登場人物のことを思い出し、もし彼らがそのまま歳を取っていて現在に至っていたらどうなっていたか、今の自分が書くとしたらどうなるか考える。それで現時点で書き直し、全く違う物語として展開できることもある。
ある作には、ファム・ファタル的女性キャラクターが出てくる。彼女の名前は仮にジュヌヴィエーヴとしましょう。ジュヌヴィエーヴは宿命の女性ですから、ロマンティックに死んでしまうのだった。多分大量のフィクション受容体験から生まれた、私の理想の女性であろう。そうなりたいとか、美化した自己投影とかもあったのだろう。
そして今考えると、彼女が何を考えていたか私にはよくわからない。『ああ面倒くさい。マスカラが取れた腹が立つ』とかかなあと思う。彼女の考えを考えてみたが、書くネタとしては面白くない。彼女を神秘化する男性キャラクターが必要なのだ。でも、そのような話は今は書きたいと思わないし、「ロリータ」にかなうわけもなし。
これは使えそうにもないなあジュヌヴィエーヴの話よ。とか思った。
ジュヌヴィエーヴが生きている姿を思い返そうとする、と、昔考えていた容姿とは違う。顔は変わらない。だが、胸はあるけれど比較的、細身の体型ではなく、凄まじくバストもウエストもヒップも大きくなっていて、地母神というか、この写真のような体型になっている。
私の脳内の「宿命の女」像は、ファッショナブルな美女ではなく、
「地母神」に変形されたらしい。昔書いたジュヌヴィエーヴは妊娠とも出産とも育児とも関わりはなかったのだが。
「素晴らしい女」であることのみを追求すると、ここにたどりつくのか?
何だかわかるようなわからないような。
