2 雑感: 2006年11月アーカイブ

我ながら
最近あまりこのブログ面白くない。

中途半端なのだ。
どういう立場を、というか心構えを、ブログに対して取って良いか
決めかねている。

ブログとは別に、わたしは小説を書いています。
そちらは、あくせく書いてみたり、書こうとしては失敗したりしています。
以前ならweb日記に書いていたかもしれない、
憎悪も怨念も小説のために溜めておきます。
あ、でも作品にしたいなら、有るか無きかではあっても、客観性を失ってはいけませんよ。

ブログの小話は小話で書くのが好きではある。
気づくと歩きながら、
モグラ帝国帝王の正体について考察していたりもする。
モグラ帝国のくせに近代化なんかするんじゃない鎖国しろ鎖国、である。
バカ小話はバカ小話でわたしの芸のうちである。
これが最近あまり面白くないのは
自分の小話作成定型が出来つつあり、
それを微妙に定型から外すとかばっかりやっているからか。
単にバカ小話が不調な時期なのかもしれない。

ブログでは、
バカ小話/フィクション以外、
普通の日記を書いたりとか、小説にするわけではない生の考えを吐露したりもできますね。
自分の日常は別に面白くないと思うし公開する価値もない。
何か考えを吐露する、は、
もっと自棄気味で暴走気味に書いていた時期のほうが
酷く間違ったことを書いてたりもしていただろうけれど、
面白かったかもしれない。
少なくとも、わたくしにとってはストレス解消になっていた。

ブログ以前---
『レンタル日記サービス』で、
日記(といいつつフィクションも混じっていた)を書いていたころと、
『ブログ』になってからだと、ブログって、何かpingとかを飛ばしたりするしで、
凄く大げさに感じてしまい、まとまった文でなくては出してはならないように思い、
思いついたことを素早く書く、が気分的にやりづらくなっている。

日記レンタルサービスで日記を書いていたころには、
3行で終わる日記なども平気で書いていたのですが。

それからブログ文は、ワールドワイドに閲覧可能なのだった。
以前は、正直なところ、web日記を書くのが、
街のミニコミ誌に雑文を書く、程度の感覚だった。
(わたくしがサイトを始めたのは2000年です)
もちろんミニコミを読んでくれる可能性のある街の住人全員が知り合いで仲良しなわけでは無く、
住人の中には、我が文を読み、怒る・呆れ返る・嫌悪する人もいるかもなーとか思ったりもしたし、
一応、web日記は、ワールドワイドにアクセス可能だと、
知識として知ってはいても、
やはり街のミニコミ誌感覚があったことは否めない。
公開前提当然、むしろ読んで欲しくて書いていた小説とは、
書く上での感覚も、書くための手間の掛け具合もまったく違った。

ワールドワイドウェブといっても、
ネットに接続できる人が全員
わたしの以前の日記やこのブログにアクセスするわけはないのであった。
重要な情報があるわけではなし。すぐに役に立ち、これを読めば自己実現が可能になったりとかしないし。暇つぶしにくらいにしかならない。
たいていの個人サイトというのはそう大勢の人にはアクセスされないだろう。

それでも
ブログ文は、あとで削除しようと
ワールドワイドウェブで公開してしまった以上、
『残る』かも知れない可能性を、思いついたのだった。
Internet archiveとかが、何だか知らないけれど
ワールドワイドウェブのある時点を丸ごと溜めていたりしているらしいですね。
わたしのブログが、
某年某月某日のワールドワイドウェブの記録の一少断片として、
『残る』のは
もう既にそうなってしまっていることであり、異議申し立てをする気などない。
だけど、それらは、
わたし個人の記録、『(C)わたし』といった感じで残るわけではなく、
未来の、なんかの研究者の人だけがアクセスして、例えば日本語の変遷とか、
往事の文化とか民俗学とかの、その資料の一環にされるくらいだと考えていた。

今から半世紀以上も経ち、
わたしが白寿になったとき、
姪の孫とか、年若い友人とか(いれば)、ボランティアとかが、
わたしの、過去にネットで書いた文章のすべてを、
それこそコマンド一つで全部捜しだし一覧表示させ、
それらをやはりコマンド一つで、紙か何かに出力し
きれいに装幀して、
プレゼントしてくれたりして。
(プライバシーの概念なんて、半世紀以上後には全然変わっているだろう)
まあ、それならそれで、
痛い文とか出てきても、自分がうわーぎゃー! と、のたうつか、
半世紀以上前の自分なんてもう関係ないよ、うわー痛い文(笑)、と思うのか知りません。
しかし、それくらいだろうか。
想像もつかない嫌な利用のされ方をされる、という可能性はないか。
もう白寿だから、もうすぐ死ぬからいいや、
死んだあとならどうでもいいや、であったとしてもですね。
アンドロイドとかナメクジが、
わたしの書いた文の束から予測される人格を与えられ冥王星で大繁殖してネガティヴ思考に漬かりまくっていたりとか。
わたしに似た人格だろうとわたしじゃないし、それに死んでるからいいや。
いや、未来の技術で延々と延命され、延々と過去に自分が書いた文を読まされる、
などということが行われたり……誰にどんなメリットがあるんだろう……。
何しろ未来ですから何があるかわかりませんよ。
もっと嫌なこと……。
わたしの文しか日本語(あるいは人間語)が残らず、
人間語はこういう言語だと宇宙言語学界のファイルに仕舞われる。
……まあいいか。

このアーカイブについて

このページには、2006年11月以降に書かれたブログ記事のうち2 雑感カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは2 雑感: 2006年8月です。

次のアーカイブは2 雑感: 2006年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01