1 フィクション: 2007年2月アーカイブ

妹の長女、つまり私の姪に半年ぶりくらいに会うことになった。姪は一歳とちょっとである。絵本を読んで聞かせてあげることにし、妹の許可が下りたので(許可制なのだ)、私は近所の本屋の絵本コーナーをしげしげと見ていた。
この計画は、姪にお話を楽しむ習慣があったらそのほうが人生楽しいだろう、しかしお話を楽しむのみならず、のめり込んで私のような元・暗黒耽美派文学少女になってはマズイ、そういう矛盾を孕んでいるのだった。
大人でも絵本を楽しんでいる方はたくさんいるが、そういう人は絵が好きなのだと思う。私は絵にあまり興味がないので、絵本コーナーを物色するなどという機会は久しぶりである。今回買う絵本の条件は次のようなものだった。
姪は、まだ感受性やら審美基準やらが育っている最中だから、絵本は良書であるべきだ。できれば何百年と残ってきたお話が良い。
語り継がれ、書き継がれてきた話は、まあ時の施政者の意向で奨励されたり焚書されたりしたにしても、残るだけのことはあるはずだ。つまらない話なら世代を重ねるうちに書いたり話したりしなくなるだろう。新しく作られた話はもう少し大きくなってからのほうがいいんじゃないだろうか。
で、
『竹取物語』絵・宇野亜喜良という本を発見。
……かぐや姫がサイケですよ。かっこいいけど、乳幼児にこの絵でいいんだろうか。
『竹取物語』は微妙だ。日本最古の物語文学らしいから、年月に堪えてきた物語という意味ではベストだが、姪が、かぐや姫を自分になぞらえ、月から迎えが来ないと激怒したりしても困る。
結局、面倒になって自分用の文庫本を買い、『愛の流刑地』(凄い題だなあ。。)が平積みになった店を出た。

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頭痛と肩こりが酷く、頭がぼうっとしているくせに、本当にどうでも良いくだらない考えが浮かんで浮かんで止まらず苦しい。こういう勝手に浮かんでくる考えは、書き留めればとりあえず外に出て行く感がある。書いてしまえばもう考えなくて済むことを経験的に知っている、ので書くことにする。そうしてからもう少しマシなことを考えよう。

絵本→童話
といえば、童話に分類していいのかわからないが、
『不思議の国のアリス』が例えばゴシックロリータな方に大変人気があったりするようだが、それはテニエルのヴィクトリアンでややダークな挿絵にも大きな功績があるように思える。
私もアリスのイメージはやはり挿絵で浮かんでくる。
で、ここから先は心底くだらない思いつきである。
---挿絵がなければ『アリス』とカフカの『審判』は似ている。
相似点→
+主人公がいきなりルールのわからない世界に投げ出される。
+カフカの作の不条理で不安な状況の舞台に安住している、その世界の下っ端たちは対やグループになっていて双子だったり双子みたいだったりする。
ハンプティダンプティっぽくないか。全然違うか?

というわけで何か似ているのだった。
そんな共通点とも言えない共通点を取り出して似ていることにしてしまえば、世に似ているものは山のようにあるじゃんか……だが、この主張とも言えない主張を書いているのは、その『主張』の正当さを証明するつもりではまったくない。ただこの考えが私の脳内を巡って離れなくて苦しいので書いて落ち着くことが目的なのだった。このブログはゴミ捨て場みたいですね。

だから、アリスファンで、『鏡の国のアリス』も読んでしまい、もっとアリスの話が読みたいという人は、カフカの審判とか城とかをパソコンに取り込んでテキストデータにして、エディタで『ヨーゼフ・K』とか『K』とかを全部『アリス』に置換すれば良いのだ。ただし個人で楽しむだけにしておく。

ヨーゼフ・Kが刺されて、


「犬のようだ!」と彼は言い、恥辱だけが生き残ってゆくようだった。

--辻 王星(漢字が出ない。『王』扁に『星』で一字。)訳・岩波文庫

この場面をアリスバージョンにして、


「犬のようだわ!」と刺されたアリスは切り裂かれ伸びたり縮んだりしながら言いました。……

これでは児童虐待である。アリスが可哀相なので、やはりヨーゼフ・Kに死んで貰おう。

「犬のようだ!」刺されながらKが言うと、天地の生命にあまねく慈悲を垂れんと激しく欲する、早すぎたエコロジスト・第五代将軍徳川綱吉が現れ、烈火の如く悲憤慷慨しつつヨーゼフ・Kに訓戒した。
「犬をそこもとの如き悲惨な目に遭わせようとは言語道断である。あまたの禽獣の中でも、犬は天下の至宝なり」
ヨーゼフ・Kは、ようやく、この不条理ワールドを仕切る最高権力者に会うことが出来たので血をぽたぽた垂らしながら喜んだ。そして今までどんなルールを破って逮捕されたのか全くわからないことが不満であったのだが、綱吉公は、法律書である御成敗式目をあっさり読ませてくれた。

(何か時代が違う気がする)
(想像の中では、時間も空間も無関係なのよ、ハニー)

ヨーゼフ・Kは改心し、犬を侮辱するのを止め、綱吉公と犬屋敷に出かけ、仔犬ちゃんまみれになり楽しい一日を過ごした。
その後、ヨーゼフ・Kは、学問に熱心な綱吉公の薦めで朱子学を修め、綱吉公に良く仕え、毎朝犬の散歩をした後、学問所で講義を行うようになった。
それでも前に刺された傷が癒えず、ヨーゼフ・Kは、たくさんの犬と弟子、それに日本で娶った妻と子に囲まれ、病床にあった。綱吉公が心配して駆けつけた。「おお、Kよ。城に正式に招待しようと考えておった矢先に」畳に涙がぽたりと落ちた。
士は己を知る者のために死すと言う。しかしヨーゼフ・Kの考えていることは時々わからないです。
ヨーゼフ・Kは、弟子の一人に命じて、病室の障子を開けさせた。濡れ縁の向こうの水色の空に、光り輝く孔子様が浮かび、おいで、と手招きをした。

---
というような愚にもつかないことを考え続けて私は大変苦しかった。
だがまだ、ヨーゼフ・Kの辞世の句を代作しなくてはならないのだった。

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