hail to the thief
レディオヘッドの新譜買ったよ!
アンビエントな曲でトム・ヨークは壁の毛虫のように呟き続けた。
トム・ヨークは焼鳥屋に行き
友達に鬱病治療をしたほうがいいか相談した。
トム・ヨークの友達の小鳥たちは、
炭火で焼かれながら、歌った。
おお誠実なる王子よ、道を探す者よ
御身鬱病たらんと欲っするも
欲望は身を焦がし焼鳥屋をいずるも
外は延々と広がるラブホテル街
トム・ヨークは小鳥たちを引き連れ
ラブホテルの一室に入り
瞑想を続けた
瞑想する横で小さな虫たちが
トム・ヨークのパスポートやクレジットカード等
一切の持ち物を持ち去った。
トム・ヨークはラブホテル街が
大きな濁流に呑み込まれるまで
河の側で瞑想を続けた
ラブホテルだからといってセックスのことなど
持ち出すな。
失礼じゃないか。
俺はトム・ヨークでエロはやらん。
つーか変拍子が聞きづらいな。
慣れの問題かよ。
1曲目、とってもドラマティックですね。
【top】
植民惑星の娯楽委員
−この話における「トム・ヨーク」とは、−
孤高のロック・ミュージシャン。人がいい。同名の実在の人物とは無関係。−
地球の人気ロックバンドを率いる、孤高のアーティストのトムのもとに、
植民惑星から仕事の依頼が来た。
植民惑星の移民団居住地で、娯楽委員の任について欲しいという要請だった。
困ったな、とトムは思った。
ロンドンの音楽スタジオで、トムの敵たち、トムの息子であってもおかしくない年齢の、過去のリサイクルを繰り返す凡庸なロック青少年たちが、トムが子供のころ聞いた、宇宙空間で遭難して宇宙空間をさまよう、しかし本当はジャンキーの「トム少佐の歌」
を歌い、トムを揶揄嘲弄した。
いや、トム少佐(major Tom)とトム(Thom)は、多分、綴りが違うのだが。
惑星開発委員会
の使徒天使が現れ、大きな翼をはためかせ、痩せたロック青少年たちを蹴散らした。
植民惑星のB-57861地域の住人は全員トムの大ファンで、明日の輝かしい植民惑星の繁栄のための、苦しい労働の合間にトムの歌を聞きたがっているのだと言った。それがあなたの使命です。
自動運転のロケットに乗って、トムは一人で宇宙に飛び立った。宇宙空間は寒かった。
植民惑星の宇宙空港から宇宙服を着て外に出る。大気は二酸化炭素でいっぱいだった。駅から玉砂利を敷いた狭い道を歩いて、トムが担当地域のB-57861地域の基地に到着すると、強化プラスティックの透明防御壁の向こうで、植民者たちが
諸手を挙げたり泣きわめいたりしながらトムを歓迎した。
植民者たちは、この惑星の大気に合わせて人体改造を施され、全身に葉緑素が植えられ、光合成で生きていた。だからトムと、植民者たちとは、透明防御壁越しにしか会うことが出来なかった。
植民者は光合成をしながらペットボトルをリサイクルした土に芽キャベツの種を蒔いていた。胸から何本もチューブを伸ばし、チューブの一本一本は、各一羽づつのニワトリのクチバシにつながっていた。チューブから酸素が送り出され、ニワトリは酸素呼吸をした。植民者たちは、大体一人、七羽から八羽のニワトリをチューブの先にぶら下げていた。ニワトリが弱ると、彼らはニワトリのクチバシを口にくわえ、酸素を口移しで与えた。
この惑星には太陽が54個もあるのでいつでも昼だった。分厚い二酸化炭素の雲を通り抜けて太陽の光が薄く差していた。空は黄緑色だった。地球標準時で一日の労働が終わると、楽しい夕食と娯楽の時間だ。トムは、透明防御壁の向こうにいる宇宙移民たちに向け、ギターを弾いて持ち歌を歌った。トムの大ファンの移民たちは毎日感動し、さめざめと涙を流した。
トムだけが葉緑素を植えられず、人体改造もされず、移民たちが芽キャベツの収穫や箱詰めに行く間、強化ガラスの防御壁の三畳くらいの部屋の中で、つくねんと座って本日の出し物を考えた。そんな日々が続いた。
植民者たちは元はトムの大ファンだったのだが、みんな植民地生活に疲れてきた。ディズニーランドに行ったり、故郷の山河の中で墓参りに行ったりしたいのだ。当然だ。弱ってきたニワトリを抱き上げ、ニワトリのクチバシを、五秒ごとに口につっこみ酸素を送っているのである。空では54個の太陽がぐるぐる回り、空は黄緑からピンク色に変わり、ニワトリの産む卵には黄身が三つも四つもあった。トムは毎日、芽キャベツと目玉焼きを食べた。
植民者たちはトムの、繊細で陰鬱で高貴な音楽が理解できなくなっていった。
変拍子を使うと、植民者たちはぼーっとした顔をした。トムは胸が痛くなり、彼らの役に立とうとした。マッドネスとかポーグスとか、景気が良くて気を引き立てるような音楽を演奏した。植民者たちは少しだけ笑った。が、やがて、植民者たちは、テンポが110BPM、コードはAかCの二つでできた音楽にしか反応しなくなった。
隣の地区では、娯楽委員のバレリーナが、金色のトゥシューズの爪先に鉄アレイを仕込み、鍛え上げた見事な脚で、移民たちをガンガン蹴り殺したそうだ。
32回転のグラン・フェッテ・アントールナン。彼女は地球に強制送還された。
トムのところに別の地区の娯楽委員の吟遊詩人が来て、一緒に逃げようと言った。
「芸能民は共感可能な観客聴衆がいなくては存在しえないのだ。我々の現在の状態はどうだね、これは芸能ではない」
トムは静かに吟遊詩人の誘いを断った。吟遊詩人はトムを嘲る詩を作って去っていった。
トムはぼーっとした植民者たちの前で歌った。
ああ
ぼくはトム・ヨーク 宇宙の戦士
放浪の
地球のみどりのおかに ちきゅうの長い午後に
は 月の
無慈悲な夜の女王を 退治するのだった
適当に2コードで作ったこんな歌に、移民たちは葉緑素をぶるぶる揺すって笑った。
ロックは退屈なゴミ音楽かもしれないが、退屈なゴミであっても一応音楽であった。これは音楽なんだろうか。まあ芸術じゃねーよな。
鉛筆削り屑にもならない。トムは絶望的な気分になった。
これなら娯楽はラジオを置いておけばいいじゃないか。
「僕も彼らのように、人体改造をして葉緑素を細胞に植えて、酸素供給器にしてください」惑星間通信機に向かって、トムは惑星開発委員会に要望を述べた。「だめです」惑星開発委員会の返答はそんな感じだった。「あなたはあなたの娯楽委員としての任を全うしなさい」
移民たちは人間から芽キャベツに近づいてきて、時々、手のひらは葉っぱのようだった。ヨークシャーから移民に来た、ミズ・ローズマリー・フリードマンは透明防御壁越しに言った。
あなたのとてもとてもファンだったのよ あなたはずっと私を見ていて私に正しいことをするようにと ささやいていた
秘密を
ニューアルバムを買うごとにコンサートに行くたびに
あなたは私に秘密を送ってくれているのを感じていたわ
学校に行っても 道を歩いていても ファーストフードショップで得体の知れない肉を焼いていても あなたは空から私を見ていたわね
それはもちろん私の思春期の思いこみにすぎないのだけれど
私は正しいことをしたわね そう言ってトム
そして私のためにうたって
トムはギターを取ってローズマリーのために、かつての持ち歌を歌おうとしたけれど、彼女はまた機械的にニワトリのクチバシに酸素を送る仕事を始めた。
トムは即興で、ローズマリーとニワトリの歌(コード進行・A→C→C→A)を歌った。何だこれ。ローズマリーはもう何もしゃべらなかった。ローズマリーの金髪はだんだん葉っぱになっていく。葉ボタンっぽかった。
トムは娯楽の時間が来るたびに、覚えているシェークスピアとかレイモンド・カーヴァーとかを暗唱しようとしたのだが、受けないのでハリーポッターにしようと思ったが読んでいなかった。
地球連邦からは時々譜面が届いた。
移民に聞かせると良い曲、植物の成長に良い曲。
トムはチェロでバッハをずっと弾き続けた。
2万3000年経った。
分厚い二酸化炭素の雲が晴れ、大気は酸素で満ちあふれていた。
地平線まで芽キャベツ畑が広がっていた。ニワトリたちが進化して、芽キャベツを鶏糞で固めた議事堂を造り、人権宣言を採択したりしていた。
ニワトリはトムに卵を分けてくれた。
殻を割ると小さな黄身がびっしり詰まっていた。頭がトムのニワトリもいた。
トムの生殖細胞を、卵に適当に混ぜたらしかった。(2007/12月)
【top】
トムの市(祝祭感)
登場する人物/団体/土地/宗教はすべてフィクション。
=トム・ヨークとは=
孤高のミュージシャン。人がいい。実在の同名の人物とは無関係。
植民惑星で二万三〇〇〇年過ごした。
トムは、高度に発展した文明を作り上げたニワトリたちのユートピア惑星でしばらくぼーっとしていた。五十三個の恒星が経巡る中、ニワトリは人権宣言を採択し、それから生きとし生けるもののみならず無生物までにすべてに平等な権利を発令した。素晴らしいニワトリ世界であった。ニワトリたちは合唱しながら芽キャベツを育て、歴史を記録し、卵を産み、合唱し終えるといっせいに眠った。
トムはあまりにもやることがなかったため、やはり地球に帰ろうと決めた。ニワトリの長老は言った。「地球は我々にとっても母なる惑星ではありますが、人類でいっぱいでしょう。堕落し途方に暮れ、互いに軽蔑し食いあい、有毒物質と有毒概念に充ち満ちた、未来の短い人類などの住まう星より、私たちと楽しく暮らしましょう」
ニワトリ五十三羽がフォーメーションを組んで、巨大な飛行機の形になり、黄緑色の空を滑空していった。クリーンエネルギーの飛行機である。
ニワトリたちは懇願したが、トムの決意は固かった。
名残を惜しむニワトリたちに見送られ時空位相機に乗り、ギターを握りしめて星からの帰還をした。
難波江の短き葦の節の間のテトラポットにガンガンぶつかりながら、トムは海岸に漂着した。海岸で気を失っていると、アジア人の女たちが集まってきてトムを取り囲んだ。「トム・ヨークはんやわー」「いやーほんまやー。何やっとうの?」「かっこええわあ」
トムがアリガトとか言おうかと思っていると、
街の長老がやってきて女の子たちを追い払った。
漂流物のトムは住民に拾われヒルコ神社に祭られた。
海上から来た「まれびと」(客人)のトムは、海の彼方から、たくさんの幸福を運んできたのだと考えられた。
お正月が過ぎて数日後、境内ではトムの市の祭りの準備がなされた。狛犬のとなりに、高さ二メートルほどの木製の台が作られ、てっぺんの台座には金泊を混ぜた和紙が敷かれた。禊をした神官たちによって、トムはそれは丁重に、台座に横たわらされた。
太鼓が鳴った。
着飾った参拝客が家族友人カップル連れだって、どっと押し寄せた。みんながトムのいる台を取り囲み、酒を供え、トムに小銭を貼りつけた。何故、参拝客はトムに賽銭を貼り、酒を供えるのか。トムが海の向こうに帰ったのち、他のまれびとや魚や黄金を積んだ船に、上機嫌でこう伝えることが期待されているのである。……この街でこんなにいい目にあったから、君たちもどんどん行って、イカナゴの釘煮や明石の昼網に掛かってタコの刺身になったりしたまえ。
一応ギターも供えられていた。世界が終わる日にも浜辺に立ってギターを弾きたいと歌ったことはあったが、こういう状況は考えたことがなかった。振袖姿の娘さんや羽織袴の商店主たちが商売繁盛を願ってトムにどんどん小銭を貼りつけるのだった。トムは小銭を貼られながら、貼った人の商売繁盛を願った。トムの全身は十円玉や五円玉で何層にも覆われた。
金魚掬いをした少女が、黒い大きな出眼金を掬ったら、金魚掬い屋台のおじさんは、「じょうちゃん、赤いほうがええんやないか」と言い、お持ち帰り用ビニール袋に赤い小さな金魚を入れて少女に渡した。少女は何か納得できなかったけれど、何も言い返せなかった。トムは少女に勇気を持つようにと願った。屋台のおじさんと金魚の幸福を願った。
お祭りの帰りに、少女は、金魚は広いところで泳いだ方が幸せかもしれないと思って、テトラポッドから海に投げこんだ。
夜になり、人出はますます激しくなった。境内にはぐるりと電線が回され提灯が灯された。そこは非現実のハレの世界に変わった。グローバル化の進む世界のヒルコ神社であった。仮設のプレハブ小屋では、清楚なメスティーソの美少女たちが朱色の袴を穿いて、頭頂に花飾りをつけ、笑いさざめきながら、おみくじを売っていた。
六十七番 大吉 黄金ます山より海よりヒルコかな(ユー・ウィル・ビー・ベリー・リッチ・アンド・ハッピー)
絵馬にはアラビア文字が躍り、ギターを抱えたマリアッチが情熱的に硬い弦を叩いて愛の歌を歌いあげ、トムの市に合わせ結婚式を挙げるカップルを祝福した。金襴緞子の帯を締め、真っ赤な口紅と初めてのお歯黒を塗った可愛い花嫁の手を取って、幸せ者の花婿が指輪を嵌める。新婚の二人は小銭まみれのトムの祭壇の前に立ち、マリアッチと巫女さんに囲まれ、みんな笑顔で記念写真を撮った。特設リングではプロレスが始まり、ロバート・ロドリゲスが映画の撮影をしている。参道の横の池では海豚が輪くぐりをして、キュキューと鳴き、観衆は緋毛氈を敷いた長椅子に座って茹で卵を食べながら拍手をした。ワンちゃんサーカスとお化け屋敷と皿回しとジャグリング芸人と溢れるほどのお笑い芸人が出てきて新年のトムの市を言祝いだ。
「幸せにしてください、まれびとのトム様」とみんな願った。冬の夜空には月が玲瓏と輝き、白木の柱に吊された提灯が黄色く輝く。境内の暗い木々の枝枝に、桜と梅と薔薇と椿がいっせいに開花した。
イワン・カラマーゾフが歩きながら茹で卵を囓り、弟のアリョーシャに陽気に言った。「さあ、あっぱれな苦行僧のアリョーシャ・カラマーゾフ君! 見てくれよ、この幸福を求める人々を!」
「可哀相な兄さん! 文化相対主義という言葉をご存じないのですか」
「一六世紀、イスパニアのセビリアに『あのお方』が現れたけれど大審問官は、大多数の人間は、あなたがくださった自由などには耐えられないと追い払った。それは正解だったんだよ! 自由より幸福! 僕も謹んで神様に入場券を突き返したいとつねづね思っているんだよ!」「それは駄目です! 反逆です!」アリョーシャは困惑しながら、和紙が掛け回された台の上に、ちょうど揚げたての天ぷらが和紙に載っているかのように載っている、小銭を甲冑のように身につけた、人間に似た形の偶像を見上げた。
異教の偶像は変に見える。トムの市とソドムの市は似ている。
イワンとアリョーシャは茹で卵を食べ終えると、トムに近づいてきた。イワンはポケットをさぐり、紙切れを取り出すと、言った。「ほら、お返ししますよ!」そうしてトムの小銭まみれの体に、イワン用の『この世の入場券』を貼った。貼った途端に、衛生博覧会会場を突き抜け、サーカス団から逃げてきたらしい、プラスティックの花飾りをびらびらつけた馬が激烈に走り込んできて、イワンと激突した。イワン・カラマーゾフは即死した。
トムに貼られた小銭もインターナショナルだった。懐かしいポンドの紙幣もあったが、トムは小銭の重さに息も絶え絶えだった。トムの横に背の高い威厳のある老女が立っていた、彼女はトムのほとんど小銭埋もれた首に小さな布きれを巻いた。これはあなたに引き継ぎます、と穏やかに老女は言った。
赤糸で『A』の字が見事に刺繍されていた。言うまでもなく、Aはアーティストの略である。『カラマーゾフの兄弟』ネタかと思わせて『緋文字』である。老いたヘスター・プリンは言った。「あの巫女たちの冠の花飾りも私が作ったのです。ですが私に出来るのはささやかな手仕事だけです」トムは久しぶりに会話が出来ることに喜びながら、答えた。「花飾りはとてもきれいです。どうかそんなに謙遜なさらないでください」トムは二万三〇二〇年ほど前、大学で、他のアーティストを敬うことを学んでいた。
「いいえ。あなたのほうがアーティストの名にふさわしい」老女は『A』の烙印を刺繍した布をトムに渡すと、いなくなっていた。
トムが寝ていたのは祭壇ではなく、晒し台だった。アーティストだろうと漂流神だろうとどうでもいいけれど、つうかほとんど寝てるだけじゃんかよ。こんなのでいいのかよ、とトムは思った。ストーリーないじゃん。
トムの体は二万三〇〇〇年の他星での暮らしによって変化しており、剥がれた皮膚の細胞が小銭の金属成分と融合して、近隣に抗鬱剤の成分をまき散らしていたため本当に幸福効果を発していた。けたたましいマリアッチの歌、そしてプロレスも戦隊ショーもすべての芸能は、何もかも、よく考えるとこの境内で祭られている有り難き存在=すなわち、ここに寝ているトムに捧げられているのである。芸能が芸術家に捧げられるとは一体何であろうか。僕に神の代役をやれと言うことであろうか? 自由の代わりに幸福を、みんなが僕にひれ伏すように、喜んでひれ伏せと言わなければこの人たちは幸福になれないのだろうか。現代ではロックコンサートはしばしば官能と高揚のための儀式であることが期待される。一番効果的なのは会場でなるべく残虐に殺されることだ。トムはそんな役割はやりたくなかった。トムがピアノに向かうのは、一夜の興奮の刺激剤を作るためではない。
トム、うたって、トム。わたしがどうすればよいか、うたって。
トムはパラノイド・アンドロイドのための神学大系を作ることを考えた。じゃなくて単にお祭りが楽しいだけなんだろうか。というか、このお祭りが終わったら、祭られていたトムはどうなるんだろうか。神殺し、神狩りであろうか。活け作りとか、腹を割いて内臓占い。
参道を、一団と華やかで、厳かな行列が歩いてきた。先頭は軍楽隊で、ドラムとクラリオンが重々しく鳴らされた。マリアッチたちは気圧されたようにギターを弾きまくるのを止めた。甲冑姿の軍楽隊に続くのは権威ある文官たちである。地味な色の服だが、市長や判事の手袋には繊細な飾り刺繍が入っている、行列はトムの前を横切り、トムの前で止まった。若いが誰よりも敬虔で学識豊かで憂鬱に満ちたアーサー・ディムズデール牧師が立派な説教をした。人々はこの牧師を敬愛していたが、今日は何かしら不吉なものを感じた。牧師は病がひどくなり、ロジャー・チリングワース医師と一緒に住んで看病してもらっていた。
やっぱり、ディムズデール牧師は行列を抜け、トムのほうにふらふらやって来た。トムの小銭を掻き分け、晒し台によじ登り、トムの上半身を抱え起こすと混乱した様子で囁いた。「確かに私たちは罪を犯した、かつて、この関係にはどこかしら神聖なところがあるとさえ思ったとは何という罪であろうか」トムの肩を抱いて牧師は観衆に叫んだ。「みなさん! 私は」
ああ、こんな不敬なことがあるのだろうか。イワン・カラマーゾフとアリョーシャ・カラマーゾフの兄弟やおいはいかにもありそうだが、ロジャー・チリングワース医師とディムズデール牧師のやおいを書く人はいるのであろうか。
祭りは終わった。
翌朝、晒し台から降りたトムはもらった小銭を、道で出会った人に分け与えながら、どこかに歩いていった。荒野に修行に行ったという人もあれば、天国に召されたのだという人もいる。マリアナ海溝で魚たちを集め、明石の昼網にかかるよう、説得しているのだろうか。
胸に『アーティスト』マークの布を下げていたかどうかは、私は目撃していないので知らない。
ギターは持って帰ったらしいです。
2008/3/27
【top】
『行け! トムロボット』頑張れトムロボット
=この話におけるトム・ヨークとは=
孤高のロックミュージシャン。人が良い。実在の人物・団体とは無関係。=
昭和四十二年、カラーテレビが普及しかけていた日本国で、新しい特撮ヒーロー番組が始まった。それはトム型のロボットが勇気ある少年に操縦され、宇宙から来た悪の怪獣を倒す話である。ロボットを作った科学者・未来田(みきた)博士の息子、ジュンペイ少年がリモコンでロボットに指令を出すのだ。命令はジュンペイ少年のエレキギター弾き語りによって成された。ジュンペイ少年がAメジャーのコードを押さえながら『右に飛べトム!』と叫ぶと、その音声はマイクからアンプを通り、空中にスピーカーが出現し、トムロボットは右に曲がった。マイナーコードだったらほんの少しだけ右である。
頑張れジュンペイ少年。頑張れトムロボット。
この番組は繰り返し全世界で再放送され、子供たちを熱狂させるであろう。
昭和四十二年(1967年)ってトム生まれてないんじゃないのとか、そういう、くだらないことを訊くな。どうせ出鱈目なんだから。トムは元は単なる人間でせいぜいカリスマというぐらいだったが、植民惑星で二万三〇〇〇年暮らすうちに時空を超越し始めたタイムロードである。
しかし横柄ではなく謙虚な人柄だったのでみんなに愛された。
映像プロダクションの着ぐるみ製造スタッフがトムのところに来て着ぐるみにさせてください。と頼んだ。トムは型を取られるのだろうかと思ったが、まあ子供たちの楽しみのためにそれくらい我慢しようと思った。この番組はトムが子供のころにBBCで再放送され、人間だったころのトムも見た。
映像プロダクションのスタッフは言った。「予算が不足です。予算はみんな怪獣と爆破されるジオラマにつぎこみました。みんな正義のロボットなんかより怪獣とか町の破壊とかが見たいんです」
なので彼らは、トムの背をあたかも着ぐるみのチャックがあるように縦にまっすぐに、良く切れる包丁ですっと切って、それからトムの外皮をくるりと剥こうとした。「ちょっと待ってください」トムはスタッフに提案した。
「僕がそのまま出演してトムロボットを演じるのでは駄目ですか」
「あなたではアクションがいただけませんな」
スタッフはトムの外皮を持っていって、着ぐるみ役者さんに着せた。
番組はトムの知らないところで始まった。未来田ジュンペイ少年はelectric guitarでトムロボットに命令して異端巡察士怪獣ホーヤンとかと戦った。トムロボットは頭に内蔵されたラジオ電波が主要な武器だった。トムロボットは異端巡察士怪獣ホーヤンの巨大な三角帽子を、巨大な三角帽子に書かれた巨大一つ眼に電波波動砲を浴びせた。ホーヤンは宇宙中の異端音楽を排斥するために地球に来たのである。異端音楽とはすなわちロックである。そのころ、ビートルズやストーンズが地球では流行っていた。ホーヤンはすべてのロック音楽に「星一つ」★とかつけて評価していった。★が五つあれば満点だが、★一つはくだらないゴミ音楽だから死んでしまえということだった。グスタフ・マーラーが★★☆で地球で最高評価だった。演奏していた楽団員は下手くそだったから異次元強制収容所に送られた。ベートーベンは★☆だったので死から蘇らされて永遠に太陽系を回らされながら第九を歌わざるを得なかった。何でこんな目に遭うのだろうとベートーベンは思った。
メキシコではマリアッチ狩りが行われた。演歌歌手大量殺戮も起きた。ジャニス・ジョプリンとかジミ・ヘンドリックスとか、ブライアン・ジョーンズといった、"J"がつくロックスターが二十七歳で死んだという伝説は、実は、この異端巡察士怪獣ホーヤンが評価を下して異次元強制収容所に追い込んだ事実を後世のファンたちが誤認したものである。ジャニスもジミヘンもマーク・ボランも実は今でも異次元強制収容所で元気にやっている。そこはある意味でパラダイスではあった。駄目ミュージシャンの烙印を押された者たちがいっせいに合唱していた。ドラッグは溢れるほどあったし、みんなでインプロビゼーションのセッションも出来た。困ったことは聴衆がいないのである。彼らは交互にお互いの演奏を聴いて切磋琢磨した。が、やがて「おまえは才能がない」と罵り合い、一番ぼうっとしていたシド・ヴィシャスが真っ先に袋だたきにあった。
最終回の第42話で、科学者の未来田(みきた)博士が作ったトムロボットはロボットではなく幻覚剤であったことが判明するのだが、異端巡察士怪獣ホーヤンの回はまだ1クールすなわち13回終わっていない最中の回である。
「頑張れトムロボット!」
未来田ジュンペイ少年がギターを弾いてトムロボットに命じている。トムロボットは勝手に頑張って、しかし巨大ロボットなのでのろのろとした動きで、異端巡察士怪獣ホーヤンを羽交い締めにしていた。ホーヤンが三角帽子の一つ眼から評価光線を出し、世界各地の民族舞踏とか民俗音楽を評価していった。★一つ以上取れる民俗音楽はほとんどなかった。田植え歌は評価されるためにあるわけではなかろうが、田植え歌を歌っていた早乙女たちは異次元強制収容所に送り込まれ、黒く深い森の中にそびえ立つお城の大広間で踊り狂う盆踊りに返ってきた先祖たちもまた異次元強制収容所に送られた。
本物のトムはプレハブ小屋に畳を敷いた上にいた。炬燵に入り、緑茶をすすりながら新品のピカピカのカラーテレビを眺めていた。テレビの上には神棚があって、商売繁盛と書かれた札と招き猫が置かれている。のどかで静かな夕暮れだった。原っぱで遊んでいた子供たちは『行け! トムロボット』を見るためにみんな家に帰ったか、友達の家に上がり込んでテレビを見ている。
お母さんが夕飯の味噌汁のために、大根を切る音が聞こえる。
雑種の犬のナナちゃんが、縁側の外、物干し台に繋がれ、いつものように残飯の味噌汁ぶっかけごはんを食べていた。ナナちゃんは食べ終えて、きゅーんきゅーんと鳴いている。トムが食べたいのかな。犬と生まれたからには肉が食べたいじゃないか。お茶をすすると、外皮を剥がされたトムの唇から血や筋肉の欠片が湯飲みに附いた。
外皮を剥がされたトムは撮影所のゲートの外の溝に落ちていたのだが、
親切な中年男性が自分が経営している小さな会社の社屋……プレハブ小屋に連れてきて、炬燵に入れてくれたのである。炬燵の上には蜜柑と『サザエさん』と『意地悪ばあさん』の単行本があった。そして『意地悪ばあさん』を開こうとすると、こぼれた水飴でべっとりとページどうしが貼りついているのである。『丸出ダメ夫』もあった。せっかく日本にいるのだから村上春樹が読みたかったが、まだ彼はデビューしていない。三島由紀夫が剣道着で週刊誌のグラビアに出ている。ああこの人は三年後に切腹するのか。今から説得して止められないだろうか。とトムは考える。いやそれより、まだ1967年なら、人類に色々警告することが出来るではないか。これから人類を襲う環境汚染や争いや災害を警告し、止めることが自分がこの時代に送られた使命ではないだろうか。だがテレビに出ている自分型のトムロボットはそのへんの子供に命令され、存在しない怪獣と戦っているだけだ。トムはテレビを見ながら焦燥した。
「秘密兵器をだせ! トムロボット!」ジュンペイ少年がギターを弾きながら命令した。トムロボットは無表情に、ロボットのくせに無精髭を生やしている、歌を歌い、ホーヤンの三角帽子の真ん中についている一つ眼に浴びせたが眼は、歌をはじき返し、虹色に光る波動はトムロボットにそのまま返ってきた。テレビの中でトムロボットがよろけた。ジュンペイ少年のギターの弦が切れた。「負けるなトムロボット!」
炬燵の部屋に、トムを拾った中年男性が入ってきた。貧相な背広を着た小柄な日本人である。
「どうしてこんなに親切にしてくれるのですか」と、
トムは、拾ってくれた親切な山田さんに訊いた。
山田さんは、テレビの特撮ヒーロー番組『行け! トムロボット』のファンなのだと言った。「いいですねえ、子供っぽい願いですけれど、私もこんなロボットが一家に一台あればいいと思うんですよ。次の三種の神器は、自家用車、電気卓上計算機、ロボットですねえ」
トムは外皮を剥かれているので喋りづらいが、誠実に答えた。「しかし物を所有することが必ずしも豊かさにつながるわけではありません。豊かさにも種類があります。しばらくすると、新聞の投書欄には『私たちは、豊かさを求める余り、何か大切なことを忘れているのではないでしょうか』という投稿がひんぱんに載るようになります」
「『何か大切なこと』とはもちろんトムロボットのような便利で忠実な機械を誰もが買えることですよ! そう、それこそ豊かさですよ!」山田さんは満面に笑みをたたえて確信に満ちた声で言って、ぽんと手を打ち鳴らした。
この時代には、まだ日本ではスピリチュアルは全然流行っていないのだった。そんなものは科学と発展の人類の進歩と調和の未来に不必要なのだ。科学に音楽は必要だろうか? 宇宙旅行に音楽は必要だろうか? 食料生産に音楽が必要だろうか? 文化的生活に芸術文化はあったほうが格好がつくけれど、格好がつくだけじゃないか?
音楽は作業用BGMに軽快な行進曲かなんかが一曲あれば、それで充分じゃないか。
異端巡察士怪獣ホーヤンのやっていることは正しいのかも知れない。外皮を剥がれたトムは気弱だった。『人のためになるか』否かを基準にして考えている。電気炬燵の赤外線で太股の辺りの肉が溶け始めている。テレビはコマーシャルになった。楽しげに宣伝歌が流れる。
♪一家に一台トムートムロボーットーー
掃除機を持ったトムロボットが茶の間で子供や割烹着のお母さんと踊っている。山田さん本人がテレビに出てきて『「行け! トムロボット」は山田ロボット製作所の提供です』と言った。
テレビを見ながらトムは驚いて傍らの山田さんに訊いた。「このプレハブ小屋はロボット製作所だったのですか」
「いや、テレビのあれは特撮の着ぐるみです。あんなロボットっぽい動きは本物のトムには難しいでしょう。ナナちゃんおいで」
山田さんは犬のナナちゃんを呼んで、トムの右腕の肉をつまんで、むしり取って投げた。ナナちゃんは喜んで食べた。山田さんは言った。「私が作ったロボットは実はあのナナちゃんです。ナナちゃんは高機能なアンドロイド犬なんです」
「昭和四十二年にアンドロイドは無理じゃないですか」とトムは言った。「平成二十年にも」と言おうとしてトムは口ごもった。未来の元号をこの時代の人に教えてはいけない。「ええと二十一世紀の最初のころにもアンドロイドはいませんよ」
山田さんはトムの言葉を無視して続けた。「ナナちゃんは、口腔内に入った哺乳類の遺伝子をコピーして、胎児にまで育てて出産します。ナナちゃん自身もたくさんコピーさせましたからナナちゃんアンドロイドを近所の人たちに売って、そしてトム、あなたの肉をやってコピー胎児をナナちゃんの体内で育てさせましょう。私一人では、ナナちゃん一頭の世話で手一杯ですし、その上、トムロボットまで育てるのはまったく不可能ですからね」
どうして誰も僕を人間扱いしないのだろうとトムは思った。それはトムがカリスマミュージシャンで、それも異次元強制収容所の駄目ミュージシャン隔離所に送られないほど優れたミュージシャンだったからだ。慎ましい人は、自分が神の如く崇拝する人間を、自分と同種の人類だなどという思い上がった無礼なことは考えないものである。
山田さんの本領はセールスだ。アンドロイド犬ナナちゃんを訪問販売するのだ。近所の人々に、可愛い犬のナナちゃんを高額で売り、さらにナナちゃんの腹にトムを入れてトムを増やすのだった。飼い主には最初に生まれた仔トムロボットを自家用にする権利がある。それ以上生まれたら、仔トムは山田ロボット製作所が三万円で引き取る契約であった。そんな儲け方法のおまけもあり、何よりみんな可愛いナナちゃんと忠実なトムロボットが欲しかったので、ナナちゃんは高額にもかかわらずどんどん売れた。妊娠中のナナちゃんには、毎日ロック音楽を聴かせなければならない。だから山田さんは、トムの繁殖家たちに輸入レコードも売りつけた。ストロベリー・フィールズ・フォーエバーが延々と近所で流れていてすごく鬱陶しかった。トムは炬燵に入って蜜柑を食べながらどんどん電気炬燵の赤外線で溶けていった。年が暮れるころには炬燵布団にトムの染みだけが残った。
仔トムたちは『行け! トムロボット』の再放送を見ながら育つだろう。なんかそれらはロボットじゃないような気もするのだが。
2008/10/13
★トム以外の小話はこちらのブログでhttp://trash.masejunko.net/
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