自我なんてもういらない-『アムステルダム・ウェイステッド!』


ドラッグ漬け都市アムステルダム

アムステルダムがドラッグカルチャーの聖地だということはご存じでしょうか。ソフトドラッグはコーヒーショップで堂々と売っているらしいし、もっとハードなものも簡単に手に入るそうです。
で、イアン・ケルコフ監督の『アムステルダム・ウェイステッド!』です。
ドラッグの大量消費地、アムステルダムに出てきたカップルがドラッグカルチャーに次第に巻き込まれていく物語。
ドラッグ最高でも、ドラッグ反対でもなく、ドラッグにまみれた都市に、ドラッグ漬けで生きることを、クールに描いていて、いい映画だと思いました。

まず、描かれているのは、ひたすら、ドラッグ、セックス、パーティ。ある意味、ほんとにむなしい『ウェイステッド!』(浪費)です。
それらが、実際にドラッグを体験するような映像で描かれてます。アハハ。映像楽しかったよー。気持ち良く、気持ち悪くなったよー。

浪費の支配構造

この映画では、ドラッグカルチャーの裏には、当然、ドラッグの売買、セックスの売買、パーティの売買があるということを、ちゃんと押さえています。ウェイステッドな青春を送っている若者たちの裏には、ドラッグやセックスやパーティを売買する大人がいます。
経験を積み、金と実力を持った大人が、ドラッグカルチャーの経済的側面を支配している、というごく当たり前の現実的事実、そして同時に、その大人たちも、弱肉強食の掟に支配されているという、また別の現実的事実が、ストーリーに織り込まれています。ラストでは、たくさんの登場人物たちの、ある者は成功し、ある者はアムステルダムを去り、ある者は死にます。そして、別の者たちが、またドラッグをやり、ウェイステッドな生活を送る……。

何やってるのかわからなくなる

そういった重層的ストーリーがあるのですが、とにかく、監督がドラッグをやっていない人にもソレを体験しているような映画にしたかったというだけあって、サイケな映像、狂ったインテリア、画面グルグルー、テクノ音楽バキバキで、ストーリーがうっかりするとよくわからなくなったりします。でも、それでいいのだと思う。多分、登場人物たちも全員薬漬けで、自分たちがどんな生活を生きているのか、判断ついてないだろうから。
そこが怖くも、面白くもありました。

自我なんて捨てちまえ

この映画を見た人は、ドラッグは絶対やってはいけないものだと受け取るかもしれません。
しかし、逆にドラッグをやってみたくなる人もいると思う。っつーか、私がそうだった……。捕まりたくないので、やらないすけどね。
それだけ、この映画で描かれている「ドラッグを体験する感覚」「ハイになる感覚」は面白かったのです。
ドラッグ、セックス、パーティ。共通するのは、それらは皆、一瞬の陶酔だということです。一瞬自我から解放されることです。ドラッグとセックスとパーティ漬けの若者たちは、自我を失うことを求めているのかもしれない。自我なんて捨てちゃったほうがハッピーかもしれない。

恋人たちの情熱は死へ

クライヴ・バーカーのホラー小説『ジャクリーン・エス』は、人間を変形させる力を持った人妻ジャクリーン・エスが、いやな男たちをその力で皆殺しにし、最後に自分を本当に愛する男と、文字通り、体ごと完全に融合してしまうという話でした。血まみれの、極上の恋愛小説です。奇しくも、この小説のラストもアムステルダムの娼館が舞台でした。
そして、自我を失い、死んでいくことが、これほど魅力的に描かれている小説も珍しいです。

そしてなさけない結論

ドラッグ、セックス、パーティ、恋愛。これら全てが魅力的なのは自我から解放されるからなんじゃないか。
自我なんてもういらないんじゃないか? 日本でも、その気でガツガツ捜せば、エクスタシー、手に入るらしいよ。オランダ実際行くのもいいよね!
だけど、その裏には、ドラッグの売買、セックスの売買、パーティの売買、現実的事件があり、ラリっていると対応できない。私はまだ死にたくない。オランダ行く金もない。
金がなければ、自我を捨ててハッピーになることもできない、という凄い情けない結論で、この文終わり……。いいのか?
いや、正直に書きます。金もヒマも、本気になれば作れます。自我を失くすことは、すごく魅力的であると同時に、やはりすごく怖いのです。
2000/11/29


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