マルグリット・ユルスナールの『東方奇譚』(白水社)に収録されている、中国を舞台にした短編『老絵師の行方』に、
こんな皇帝が出てきます。皇帝は、絵師の描いた素晴らしい絵だけに囲まれて育ちました。成人していざ、
自分の実際に所有する帝国を見ると-自然も女性も兵士も、何もかも、絵に較べるとどうしよーもなく見劣りがする、
ということに愕然とし、失望し、絵師を処刑しようとするのだった。
皇帝でも何でもないですが、
濫読フィクション漬け子供時代を送った者として、この方の現実への『失望』はわかる。フィクションは日常より、
濃厚な感情体験を味あわせてくれます。私は多分どこかで素晴らしいモノを見てしまったのでしょう。
その後、日常生活のささやかな楽しみ、メシがうまいとか、
空がキレイetc.だけでは満足できないっつー困ったことになってしまいました。あーあ。←活字の中に消えろ!
で、唐突にアラン・パーカー監督/映画『バーディ』の話になります。
これは、私の号泣映画です。
崩れ掛けた建物&異常に瑞々しい自然という映像が大変美しく、
漫画家の多田由美さんも影響を受けたそうです。
時代はベトナム戦争近辺。
鳥にしか興味のない風変わりな少年バーディ(マシュー・モディン)と親友のアル(ニコラス・ケイジ)の青春と、
その後、戦争に行き、ぶっこわれた二人の姿とが、入り交じって描かれてます。
この映画は、普通、
二人の同性愛的友情物語とか、戦争の残酷さを訴える作品とかいうふうに読むのかもしれないけど、
私はちょっと違うように受け取りました。
鳥好きなバーディはただの鳥好きではありません。
彼の中では、人間の側より鳥の世界の方が重要。唯一、人間界とバーディを繋ぐのが親友のアルって感じです。
そんなバーディはついに、鳥と一体化し、鳥の視点で世界を眺めるという至高体験をしちゃうんですよね。
……こんな体験をしたら、もう人間界なんてどうでもよくなるよなー。
ここで終わりならいいんですが、
でも、映画は続きます。その直後、鳥は死んじゃうし、アルは去っていく。
アルとバーディは別々にベトナム戦争へ。過酷な戦場で、バーディは自閉し、精神病院送りになります。
戦争のエピソードを、私は『ベトナム戦争の非道さ』を描いたモノ、ではなく、
『あっち側を見ちゃった人のその後の社会体験』のメタファーとして捉えてしまった。号泣。
バーディを社会復帰させようとしているアルも傷痍軍人。
戦争が続く『外』の酷さにうんざりし、ついに精神病院の隔離病棟の中、バーディを抱きしめながら叫ぶんだよね。
『もう2度とここから出るのを止めよう。
誰かが俺たちに近づいたらクソを投げつけ、狂ったフリを続けよう』みたいなこと。号泣。
わたしも外に出たくないよ。いや、別に精神病院に入院中、なわけではないが。
『そして、二人は隔離病棟の中で一生平和に暮らしました、めでたしめでたし』
にはなりませんでした。
バーディは、アルの叫びで自閉から出てくるんだよね。
クライマックス。喜んだアルはバーディと一緒に、病院の外、一般生活に戻ろうとします。
すると、バーディは急に病院の屋上に走っていってしまいます。慌てて後を追うアル。
屋上からバーディは"飛ぼう"とするんだよ。人間なのに。やっぱ、鳥になるしかないのか?
あっち側を見ちゃったら、死ぬしかないのか? 号泣。
……なんですが、バーディは死なないよ。ラストは唖然とするほど呆気なくもユーモラスなものです。
これがこの映画の凄いとこでしょう。
『ユーモアがなければ人生なんて何の意味もない』というジョン・ウォーターズ大先生(『悪趣味映画作法』青土社)の
素晴らしい言葉を引用して、この文章を締めさせていただきたいと思います。
ユルスナールがイントロ、アラン・パーカーのバーディの話がメインで、何故かジョン・ウォーターズ賛!で終わった。
変な文。
21/may/2000